かすむベンツの威光

ほぼ実録・産業史 1)ベンツ、ホンダを買収したい 未来はwill be in the melting pot へ

 織田自動車は日本でトップのメーカーとはいえ世界の自動車メーカーから見たら、まだまだ欧州高級車の足元にも及ばずブランドの力は一流には届かない。米GMなどビックスリーとの価格競争に勝てるようになった程度の評価だった。欧米の経営者に負けない先見性、戦略性そして今後の大風呂敷をどこまで広げられるか。もし英国進出を発表すれば、海外の記者からその力量を試される質問の集中砲火を浴びるのは間違いない。だが当時の経営トップに疑問符が付いたのだろう。織田自動車の強さと弱さを熟知しているからこそ、吉田は織田を去ったのだろう。

 ドイツ自動車のオンダ買収が難しいなら、どこを標的にするのか。ここから本当の頭の体操が始まった。「あなたなら、日本メーカーの中からどこを提案する?」と吉田は問う。「ドイツ自動車は過去に四菱自動車と提携しようとしていたけどね。四菱は四菱重工業の体質を反映しているから、ドイツと相性は良いはず。でもドイツ自動車は四菱じゃ物足りないと思うだろう」と返します。

日進自動車ならいけるかも

 そこで浮かんだのが日進自動車の名前だった。日進は織田自動車に続く国内二位メーカーで、日本の自動車発祥の時にダットラ自動車として名を馳せた名門。海外戦略でも石橋を叩いても渡らぬ織田自動車を尻目に米国や英国などに工場を建設し、日本企業の海外進出モデルと称されていた。織田自動車が愛知県に本社があったこともあり、日進の本社所在地の銀座にあったことから「銀座の通産省」と呼ばれていた。

 しかし、1990年代後半から日進の経営は派手な外面と違って苦しさが増しており、袋小路に迷い込んでいた。日進ならドイツ自動車と交渉できる力がまだ残っているだろう。日進にとっても経営的な支えになるかもしれない。だが、ドイツ自動車のトップは横暴を体現したような人物だった。しかも、日進グループは日本経済を支える産業ピラミッドを形成している。ドイツ自動車に木っ端微塵に壊されたら日本経済はどうなるだろうか。

さすがの吉田も無言で腕を組む。

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