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WBC優勝の号外は奪い合い、でも紙の新聞は消滅寸前、それでも生き残る、デジタルに勝る訳

 大谷翔平がトラウトを三振に取り、世界に向かって吠えた直後、WBCの優勝を伝える新聞の号外が日本各地で配布されました。号外はまさに奪い合い。まるで紙幣が飛び交ったかのようでした。

WBC優勝の号外は奪い合い

 テレビニュースで伝える風景を不思議な思いで眺めてしまいました。日本がWBCで優勝した速報は、号外よりインターネットを介して一瞬のうちに拡散しています。WBC優勝の情報を一番最初に得たのは、手にする携帯電話、スマートフォンからがほとんどだったはずです。

 どうして多くの人々が号外を手にしたいと考え、奪い合いになったのか。WBCだけが例外ではありません。世の中に驚く事件やニュースが飛び込み、朝刊や夕刊の掲載に間に合わない。その時に発行する号外は、いつも奪い合いになります。配布していると、わざわざ号外を受け取りに来てくれる人ばかり。テレビニやネットでも報じているのに、あえて紙の新聞号外を手にしたい。読者のみなさんの思いに新聞の将来もそんなに暗くない。そう信じたいと思わせてくれました。

でも、紙の新聞は消滅寸前

 わずかな希望は淡くも消え、残念ながら紙の新聞は今や存亡の危機に直面しています。それどころか消滅への道をひた走っているのかもしれません。毎年、全国の新聞は数十万単位で部数を減らし続けており、あと10年も過ぎらたらどうなるのだろうか。1000万部死守を声高に語り、強気の構えを崩さなかった読売新聞でさえ、いまは部数については沈黙したまま。そういえば、近所の朝日新聞の販売店が閉店し、冷凍食品の自動販売店に衣替えしていました。

 号外以外は、紙の新聞は不要になってしまうか。新聞の電子化が進み、日本最大の有料テレビ放送局であるNHKはネットでテキスト、文章による記事配信を拡大しています。インターネットをインフラに新聞、テレビが情報発信するのが当たり前。紙は付け足しの存在のようです。

日米の地方紙から存続する価値を知る

 偶然ですが、日米の地方紙を主役にしたドキュメンタリーを相次いで視聴しました。日本は、岩手県の大船渡市を地盤とした「東海新報」。社員は30人あまりで、部数は1万4千〜5千部のようです。番組では東日本大震災から12年目を迎える今年、記者のみなさんが震災を伝える地元の姿を追い、新たな視点を探る過程が描かれています。読者が本社を訪れ、こんな話題があると情報提供する場面もあります。

東日本大震災を地域はどう継承するのか

 編集・校了を終えて輪転機が新聞を刷り始めるシーンを見ながら、自分自身が経験した新聞つくりの感動を改めて思い出しました。自分が取材し、悩みながら記事を固め、デスクらの意見を交えながら編集する。紙面はその結果ですが、刷り終わり読者の手元に渡った時は、もう書き直しはできません。もう逃げ隠れできません。

 毎日繰り返していると当たり前のように感じてしまうと思われるかもしれませんが、実は毎日ビクビクしていました。とりわけ地方紙は地元に根を張って長年築いた信頼を力に新聞を作り続けるしかありません。一度、信頼を失えば取材もできない。なかには地域の政治経済への強い影響力を誇示する勘違いしている地方紙もありますが、いつかは読者が裁断してくれるはずです。

米国の民主主義をいかに守るか

 米国の番組は、地域が直面する問題を伝え続け、ピュリツァー賞を受賞した地方紙でした。アイオワ州ストームレイクを地盤に部数1万5000部ほどを発行しています。創業した家族を中心に社員10人程度の新聞社です。地域には米国を代表する食品メーカーのタイソンがあり、地域経済、不法移民、大統領選、コロナ禍を軸に地域をどう伝えるかを悩む姿が映し出されます。

「友人が欲しいなら、文字が読めない犬がお勧め」

 営業担当のコメントには心が動かされました。「ピュリツァー賞を受賞したら、保守的な人から広告を取れなくなった」。新聞報道と広告営業が常に課されるテーマです。しかし、編集責任者は断言します。新聞記者は深夜まで働き、記事執筆で苦しみ、お金持ちになれないが、民主主義を守るために存在しているのだ、と。

 次のコメントには苦笑しました。「友だちが欲しければ、字が読めない犬がおすすめだ」。私も親しくしていた取材先から「あんたは人間じゃない」と何度言われたことか。今、記事化しなければいけないことは、記事にする。これが揺らいでしまったら、新聞記者は提灯持ちと言われても反論できません。

紙の新聞は記者に「逃げ隠れできないぞ」という証文かも

 新聞はネットメディアと違うのだと胸を張っているわけではありません。新聞、テレビ、ネットいずれのメディアを利用しようが、価値のある情報を伝え続けるためには、記者、ジャーナリスト自身が育つ時間と覚悟が必要です。新聞は、古い言葉ですが、自分自身の覚悟を映し出した証文です。都合が悪くなったら、削除できるわけではありません。もちろん、誤った内容は訂正しなければいけません。ただ、瞬間、瞬間を積み重ねたコンテンツだけでは、価値も瞬間で消えてしまいそう。

 紙の新聞は記者、ジャーナリストに向かって「逃げ隠れはできないぞ」と戒めている存在なのかもしれません。多くの人間の努力と信頼の結晶が紙として残る。デジタルでも記録は残ります。でも、紙はその重みと感触から直に情報を実感できます。

 東日本大震災の時、「石巻日日新聞」は手書きで新聞を発行、安否確認や被害状況を伝え続けました。東海新報の記者も話していました。むさぼり読む姿を見て、やはり新聞は必要だと確信したそうです。

 やはり紙の新聞は消えない。

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