富士、最強の個性を

ほぼ実録・産業史13)富士自動車の「戦争と平和」 彷徨いながら生き残る運命

トルストイの「戦争と平和」に主人公が露仏戦争の激戦地を彷徨いながら、生き永らえる場面が登場します。主人公は途方に暮れながら歩き続けます。周囲には砲撃が飛び交い、至るところで戦闘が繰り広げられます。主人公は慎重に避難しているわけではなりません。それでも戦火は反れていきます。砲弾や白兵戦が主人公をあえて避けているかのような場面が続きます。

激しい合従連衡の戦火には巻き込まれない命運

富士自動車の生き様と二重写しになります。世界の自動車会社が激しい合従連衡の再編に突入した1990年代後半。思いつきのような提携構想があちこちで浮上し、その結末がどういう形で終わるのか誰も予想できない時でした。その激動のなか、富士自動車は目の前に見える道を進み、個性のある中小自動車メーカーとしての生き場所を見つけました。

水平対向エンジンと4WDだけ。でも、それが最強の個性に

富士自動車の選ぶ経営戦略は限れられています。エンジンは水平対向エンジン、」駆動力は四輪駆動(4WD)、この2つしかないのです。こんな単純な方程式ではないことはわかっていますが、世界の有力メーカーと差別化するキーワードは2つしかありません。なにせ水平対向エンジンの6気筒はポルシェと富士の2社だけです。このブランディングは大きいです。富士自動車は日進自動車と資本提携関係が続いていましたが、それは仮面を被った資本提携で心中では疎遠な思いがずっと続いています。それでは自らの経営の未来図をどう描いていたのかは少々疑問ですが、目の前の状況が永続することはだけは受け入れ慣れないことははっきりしていました。

しかし、富士自動車に突きつけられた選択肢はそんなにありません。というか水平対向エンジンと4WDの2つのキーワードしか選ぶ余地がありません。選択肢の少なさが幸運の選択に続きます。自動車メーカーの個性を失わず、命運を繋ぎます。もっとも、その個性はポルシェやフェラリーのようなど独善的で強烈なものではありません。カーデザインのレベルの低さでは定評があります。手元にある技術力が切り札ですから、車に乗ってもらわないと魅力は理解されません。その技術力の味を知るファンだけが購入し続ける職人肌のビジネスです。

日進自動車が資本力で経営を主導した当時も含めて経営トップが業界で生き残るための戦略を密かに温めていたわけでもありません。一つの例外がありました。1990年、日進ディゼールの経営再建に成功した川井勇社長に就任した時期です。川井時代は経営のスリム化、効率化を徹底し、次世代に向けた企業力が養われたのは事実です。その他の日進出身者は日進自動車の取締役と同じ感覚と目線で子会社である富士自動車の御神輿に座っていたイメージです。

資本提携でも翻弄されず、フランスのルソー自動車を断る

富士自動車が日進から離れ、米US自動車へ資本を乗り換えた時も幸運が重なります。2000年、日進は富士の保有株を米US自動車に売却しました。富士自動車にとっては次善の策です。本来ならドイツのAMWと同じ孤高の道を歩みたかったのです。会社の規模よりも個性的な技術を香るクルマ作りを堅持したかったはずです。ですから、本音はUS自動車が良かったとは思っていません。当時、富士自動車が提携交渉した会社はUSのほかに欧州メーカーが列になっていました。その一つが最終的に日進と資本提携したフランスのルソー自動車です。ルソーは経営不安説が流れる日進よりも富士自動車を候補に考えていました。しかし、富士はルソーを断ります。経営戦略、経営体質などを総合的に考えれば、欧州の日進自動車そのものだったからです。

富士は日進以外と組んで21世紀に生き残る経営戦略を構築したかったのです。それにはまず日進から離れること。ただ、日進と離れても欧州の日進自動車と組んでしまったら、何も変わらない。むしろ、経営不安が確実視されていたルノー自動車を支える全く割の合わないお荷物を背負う羽目に追い込まれてしまいます。だから、最終的にUS自動車のカードを選択したのです。US自動車は良くも悪くも世界の自動車産業を代表するトップメーカーでした。カネは出すが、無茶な注文は出さない鷹揚な経営体質でした。日進と離れられるなら、どこでもと考えていた富士にとってUS自動車は最善に近い選択です。

US自動車から織田自動車に変わっても、変わりません。織田に合わせて提携効果をそれなりに表現していれば良いと割り切っていたはずです。しかし、織田はUSと違って富士の技術には貪欲でした。水平対向エンジンを搭載したスポーツカーを共同開発して、織田社長が好きなスポーツカー分野の品揃えを拡充しました。織田自動車は大型車の分野でどんな荒野や砂漠でも走破できる世界ブランド「クラウンクルーザー」を持っています。オーストラリアや中東など激しい気候と荒地がある国で最も厚い信頼を獲得している車です。優れた4WDの技術を持っているとはいえ、それが中型車以下でスポーティーな走りを実現できるかといえば別世界です。そこは富士自動車の技術と経験が必要でした。

改めて自動車メーカーにとって技術力の強さの重要性を痛感します。製造業は技術の集積です。一方で、ブランドはいわゆる「見える化」できない価値創造です。だからこそ100年で培った世界の自動車メーカーが今もトップの座を守っているのしょう。

その観点に立てば、富士自動車は中小であり新興企業であります。世界の有力自動車メーカーが本気で競争し、打ちのめそうと考える相手ではありませんでした。だからこそ、自動車業界の激動の嵐に巻き込まれることなく自身の強みを堅持した生き方ができたのでした。

しかし、電気自動車の時代はこれまでの100年に及ぶ自動車の歴史を消し去ります。そこに地球温暖化を実現するためにカーボンゼロを求める全く新しい移動体の創造が迫られてきました。最近、織田自動車との共同開発した電気自動車を発表しましたが、そこには「富士」ブランドを支えた水平対向エンジンは見当たりません。このエンジンが搭載されなければ4WD技術でも他社の差別化が弱くなります水平対向エンジンと4WDで独自の地位を築き、世界の自動車戦争から一定の距離を担保できた富士自動車の「戦争と平和」はどのような結末で終わるのでしょうか。

 

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