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ほぼ実録・産業史 自動車編 ③ AMW、直6かV6か、技術過信が世界の潮流から取り残される

ドイツのAMWは、青鮫を彷彿させる鋭い顔の表情、流麗なスリムボディーが物語る通り、優れた疾走感を満喫できる自動車を世に送り出し、高い評価を集めていた。直列6気筒が生み出す快走感はシルキーシックスと呼ばれ、熱狂的なファンを捉えて離さない。1980年代はドイツ自動車、ビートル自動車、ポルシェ自動車などと並ぶ高級ブランドの地位を固めており、欧州はもちろん米国、日本の主要市場でも着実に販売を伸ばしていた。

不安材料は見当たらない。それでも、なぜAMWの創業家ミュンヘン一族が株式売却を打診してきたのか?世界の自動車輸出入で四菱商事、五井物産の財閥系商社を追い上げる佐藤義商事の役員が解説してくれた

「AMWは走りの楽しさを存分に感じられる直6エンジンとFR(後輪駆動)に拘ってきた。それが高級ブランドを支えてきた。しかし、お客のニーズは高級車でもFF(前輪駆動)が欲しい、に変わってきている。そのためには優れたV型エンジンが必要。今のAMWでは開発にまだまだ時間がかかる。目先の日米欧の市場で販売が好調とはいえ、FFとV型両方で遅れを取ったままでは先行きは厳しいと判断したのだろう」。しかし、創業家一族が株式を手放す。そんなに深刻な経営状況なのか。

確かに1980年代後半、クルマ技術の潮目は変わり始めていた。自動車の駆動方式であるFF、FRいずれも自動車の歴史当初からあったが、操縦安定性などで優れるFRはスポーツカーはじめ上級車の大半で採用されていた。日本の自動車史で名を残す「スカイライン」の開発責任者である桜井眞一郎さんはFRの特徴を馬の走りに例えて教えてくれたことがある。「馬を見てごらん。後ろ足で蹴り、推進力を上げているだろう。方向の調整は前足でやっている。クルマの走りはやっぱりFRが良いんだ」。

ここで改めて自動車技術の基本を確認したい。少し長くなるが、お付き合いをお願いしたい。まずFRとはエンジンを車前部に配置して後輪を駆動する方式、そしてFFとはエンジンを車前部に配置して前輪を駆動する方式のことである。

 自動車が発明された当時は車後部にエンジンを置いて後輪を駆動するRR方式だったが、エンジン騒音などを解消するため、車前部にエンジンを置き、クラッチとギア、プロペラシャフトなどを使って後輪に駆動力を伝えるFRが考案された。これによりエンジンの冷却、整備が容易になったうえ、前後輪の重量配分やボディー設計などで工夫する余地が広がった。乗用車、トラックなど車種別、用途に合わせた設計できる自由度が生まれた。これが自動車の普及に拍車をかけ、20世紀初頭にはほとんどのクルマでFRが採用された。ただ、車体下部に長いプロペラシャフトを通すので床に逆U型のような長い無駄なスペースが生まれる。後部に座る場合、足元が狭くなるうえ部品増加に伴う重量増という難点が伴った。このデメリットがのちにFFへの流れが生まれる要因になった。

日本でも高度経済成長期に三種の神器としてカラーテレビ、クーラーと並んで人気を集めた自動車の駆動方式のほとんどはFRで、エンジンスペース、居住空間、トランクに3分割された3BOXと呼ばれるボディーデザインが主流だった。

FR全盛期の中でFFに力を入れていたのは1972年に「シチズン」を投入したオンダぐらいだった。世界で最も厳しいといわれた排ガス規制に対応した画期的なエンジンを搭載した小型車「シチズン」は、車内の居住空間とトランクスペースが一体の2BOXと呼ばれるボディ形状を採用し、従来の小型車に比べ後部座席にも余裕がある空間を確保した。「シチズン」は二輪車で世界トップの地位を固めていたオンダが四輪車事業でも飛躍を狙う戦略車。クルマの常識を打ち破る新型車を投入し、見事に大ヒットさせた。

 それは普及期を迎えたクルマ市場がコモディティ化(商品)への流れに転じていたことを意味していた。憧れの存在から身近な商品になればクルマに求めるものは変わる。使い勝手が最優先されるのだ。操縦安定性は大事だが、走って止まる基本性能が優れていれば、家族みんなで乗るためには居住区間やトランクムールが広い方が良い。FFはエンジンが車前部に配置されて前輪で駆動するので、FRに比べてカーブを曲がる際に外に押し出される力が働くアンダーステアが強くなる傾向がある。しかし、車内空間は広く取れる。

FFのメリットを活かすためにはエンジンも変わる。直列エンジンは操縦安定性など走る楽しさを引き出すことができるが、V型はよりコンパクトに設計できるため、室内や荷室が広い車体に設計できる長所がある。エンジン空間に余裕が生まれるので衝突時の衝撃も吸収しやすい。プロペラシャフトが不要になるなど基幹部品が減るので生産コストの抑制も計算できた。

このV型エンジンの開発で日本の自動車メーカーが頑張っていた。日進自動車は1983年に上級車で採用したが、V型エンジンを搭載するFF車を高級車というイメージを訴える宣伝を展開し、成功していた。カープ自動車は世界で最もコンパクトな1800CCのV型6気筒エンジンを開発し、小型車のヒットを飛ばしていた。

速度無制限のアウトバーンで走行性能の優劣を競うドイツの自動車メーカーにもFFとV型エンジンの波が押し寄せていた。あの誇り高いドイツ自動車は衝突安全性を重視してV型エンジンを研究開発し、1990年代に入ってから直列6気筒からV型6気筒へ切り替え始めた。英国の高級ブランドであるジャガーもV型12気筒や直列6気筒など大型エンジンを搭載していたが、V型6気筒の採用を始めた。やはり大型で響きが良いエンジンが好きな米国もV型8気筒などからV型6気筒へ移っていた。世界でエンジンの小型化の波は止まらなかった。

AMWが新しいパートナーと期待したオンダの開発状況はどうか。1985年に
発売された同社初の高級車にはエンジンは英国の提携先であるブリティッシュ・ランドと共同開発したV型6気筒エンジンを搭載した。直列6気筒に負けぬ
高性能を実現しながら、エンジン音は極力抑え高級車にふさわしいエンジンキャラクターに仕上げた。数年後には、オンダは欧州で高い人気を集めるF1(フォーミュラワン)で優勝を重ねる圧倒的な強さを見せつける。オートバイレースで常勝していたオンダのブランドはすでに欧州で広く知られている。しかし、ブランドの高い知名度は販売には直結しない。オンダの久原正社長は「F1で勝っても欧州のシェアは全然増えない」と苦笑するしかなかった。AWMにとってオンダのブランドは自社ブランドに類似したキャラクターを備えているうえ、袋小路に迷い込んだ欧州販売に対する突破口と受け止めてくれるかもしれない。そんな思惑があったようだ。

しかし、オンダは欧州の厚い壁を知っていた。オンダF1の総指揮を務めていた前原亮司監督は「F1を経験すると、日本人が乗り越えれない欧州を感じる。モンテカルロのレースは貴族のためにあるようなもの。日本人を寄せ付けない世界がある」とあきれていた。実際、オンダは1981年に資本出資したブリティッシュ・ランドと苦戦していた。会社の屋台骨は揺らいでいるにもかかわらず、気位が高くオンダとの協業が全く進まない。高級車に搭載したV型エンジンの開発はなんとか名目を保つために仕上げたが、事実上オンダ単独で開発したと揶揄されたほど。オンダは「当時の大島清社長は自分の名前を残したくて提携をゴリ押しした結果。AMWと交渉する考えはないし、うまくいくわけがない」と素っ気なかった。

AMWの創業家、ミュンヘン一族はなかなか諦めない。商社筋を経由して織田自動車にも株式の一部取得を持ち掛けた。織田も欧州自動車各社のブランドに圧倒され、欧州市場のシェアは一進一退が続いていた。AMWの高級ブランドと販売網は魅力がある。だが、やはり結論はノー。織田の専務が事情を明かしてくれた。「織田が欧州の、しかもドイツの高級ブランドを買ったとなったら、どんなリアクションが起こるか。日欧貿易摩擦に発展したら高い買い物だったでは済まない」。

AMWの創業家一族の思惑に反して日本の自動車メーカーは結局、否定的な反応を示し、何も実現しなかった。その舞台裏から浮かび上がったのは、その後も続く欧州と日本の自動車メーカー同士の提携交渉、あるいは提携後の難しさを予見させるものだった。なにしろ、欧州の自動車メーカーの視界にはようやく日本車メーカーの姿が映った程度だった。エンジン技術など基幹技術は高く評価していたが、ブランドを決める品質、走行性能などでまともに競う相手として認めていたどうか疑問だった。

時計の針を再び1985年に戻す。その年の秋、ドイツのフランクフルトでモーターショーが開幕、ドイツの自動車メーカーが世界の自動車メーカーとファンにその強さと自信をみせつけ、まさに謳歌していた。だが、ドイツの自動車各社にとって「Freude am Fahren」、走る喜びを心の底から楽しめた最後のお祭りだったかもしれない。

 それから1990年代後半までの10年間、ドイツ、フランスなどの欧州自動車メーカーは自らの誇りとブランドを捨てる覚悟で生き残りをかける苦悩に直面するのだから。

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