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ソニー・パナソニック最強タッグの日の丸プロジェクトが終焉、半導体のラピダスが心配

 ソニーグループ、 パナソニックホールディングスが参画している有機EL(エレクトロルミネッセンス)事業が終焉を迎えます。同社などが共同出資する事業会社JOLEDが2023年3月27日、東京地裁に民事再生手続きを申請しました。かつてテレビ市場で君臨していたソニーとパナソニック。2000年代は韓国勢を追い上げる立場に回っていましたが、両社の有機ELを合体させた最強タッグで起死回生を狙いました。政府系ファンドも加わり日の丸プロジェクトへ。なぜ最強タッグは負けたのか。

2015年に有機EL事業を統合

 2015年、JOLEDはソニーとパナソニックの有機EL事業を統合して設立しました。テレビのブラウン管、液晶、プラズマディスプレー、有機ELなどの事業化は世界でも日本が先行してきましたが、シャープが液晶テレビで輝いた後は、韓国サムスンや中国などに追い上げ、そして追い越されてしまいます。

 JOLEDは次代のディスプレーと期待される有機ELで巻き返す橋頭堡でした。その切り札は印刷方式。日本が得意とするインクジェット技術を利用し、有機EL材料を基板上で薄膜にして素子を作成する技術です。韓国のLGやサムスンが有機EL生産で採用する蒸着方式に比べ、印刷方式は生産効率やディスプレイ設計などで優れ、15%以上も割安に生産できるとしていました。日本勢は機能で上回っていても価格競争で破れる苦い経験があるだけに、有機ELではなんとしても価格競争力で勝ち抜く覚悟でした。

切り札は印刷方式だったが

 しかし、印刷方式の成否を握る高分子材料の開発が難航します。政府系ファンドの産業革新投資機構がジャパンディスプレーとともに加わり、「日の丸プロジェクト」に格上げされます。量産にめどがついたのは2019年末。有機EL技術の進化もあって印刷方式の優位性は薄れてしまい、見込み通りの爆発力は期待できません。これまでの研究開発投資が嵩み、量産化の遅れも手伝って経営は巨額の赤字を生み続けるだけでした。負債総額は330億円。事業の一部は当初、出資したジャパンディスプレーに継承されますが、事実上の終焉を迎えます。

ソニーはトリニトロンを捨て切れず

 ソニーとパナソニックのディスプレー事業には個人的な思い入れがあります。取材などで次代のディスプレー開発、投資を直近に見てきたからです。まずソニー。1990年代、ソニーは液晶やプラズマディスプレーなど新世代のディスプレーの研究開発でトップを走っていました。ところが実用化に手が届く寸前、立ち止まります。

 ソニーでテレビといえば、昭和世代ならトリニトロンを思い浮かべるはず。ブラウン管全盛期、トリニトロンの鮮明なテレビ画面はライバルを圧倒します。この強さがソニーに液晶やプラズマディスプレーへの転身に二の足を踏ませます。当時、次代のディスプレー投資をどう判断するかを経営陣、技術者のみなさんと議論した思い出がありますが、成功体験を思い切って捨て去る難しさを思い知らされました。

パナソニックは思い切り投資したが

 パナソニックは2000年代。当時の大坪文雄社長は猛烈な投資を決断します。。韓国勢に対抗するため、液晶とプラズマディスプレー双方に大型投資を続けます。新工場の投資規模は1500億〜2000億円。家電大手のパナソニックといえども、思い切った巨額投資です。

 サムスンなどの積極投資に立ち遅れていただけに、ディスプレー事業の復活にかけるパナソニックの覚悟を内外に示したわけですが、結果は裏目に。2012年3月期は最終赤字7800億円と過去最大の赤字を計上。当時の大坪文雄社長が次々と巨額投資を決断していた時、ニュースとしてどう扱うかを記者らと議論、大型投資は回収できるのかと何度も質問したのを覚えています。

 実はもうひとつ思い入れがあります。JOLEDの主力工場は石川県能美市。パナソニックの事業拠点を利用したのですが、パナソニックが初めて石川県に進出を決めた1980年代初め、私は勤めていた新聞社の金沢支局で取材していた時です。

 当時は、通産省が主導するテクノポリス構想が脚光を浴び、全国の自治体は半導体など最先端の電子部品を生産する工場の誘致に激しい競争を演じていました。石川県は村田製作所とともに松下電器の誘致に力を入れ、なんとか実現したのです。パナソニックの石川進出から40年近く過ぎた今、こういう終幕になるとは予想もできませんでした。

決断の遅さがすべて

 ソニー・パナソニックのタッグチームはなぜ成功のゴールを切れなかったのか。資金は政府系ファンドから1390億円の支援もありました。しかし、決断が遅過ぎました。

 まず技術開発の遅れ。印刷方式は韓国勢などの蒸着方式に比べ優勢でしたが、実用化に手間取ります。半導体や電子部品の開発すべてに通じますが、目の前の課題を乗り越える研究開発は「日進月歩」どころか「秒進分歩」の世界。ディスプレー技術はどんどん革新され、印刷方式の優位性は薄れていきます。

2015年に勝算はあったのか

 果たしてソニーもパナソニックも2015年に事業統合した際、勝算を確信していたのかどうか。手厳しすぎるとの批判は承知です。世界のディスプレー事業はシャープは踏ん張っていましたが、韓国勢などに主導権を握られていた状況でした。両社も経営状況に余裕はありませんでした。もし先行きを見込めない事業を本体から切り出し、本体もディスプレーもなんとか生き残りの足掛かりをと考えての決断だったら、韓国、中国との投資競争に敵いません。

 なにやら半導体の復活をかけた日の丸プロジェクト、ラピダスが心配になりました。

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