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実録・産業史 22 三菱の本音 会社は救済、だが自動車のブランドは消滅しても構わない 

2005年1月、三菱自動車はなんと2004年を越えました。しかし、それは時計の針が進んだだけでした。

1月中に経営再建の拠り所にあるべき経営計画を発表する予定です。月内には日産自動車との提携発表も加わるかもしれません。いずれも三菱自動車が存続するためには欠かせない柱です。奇妙なことに経営計画の実現性は問われません。ここまで揃っていれば、会社は倒産いないのだという証を世間に示すのが狙いだからです。しかし、「予定は未定」とはよく言ったもので、お正月を過ぎたころは何も決まっていません。「中身のない計画は作ったよ、外部に向けてね。それは魂がないヤツだよ」。再建計画を作成した当の本人の言葉です。しかたがない?!現実を真剣に考えれば、かなりの難問だったからです。裏返せば、普通の会社なら倒産しか選択は残されていませんでした。企業再生の専門家が3人以上集まっても文殊の知恵は捻り出せません。まともに考えたら、誰でも正解を見出せないのは当たり前でした。

現実は2022年3月の現在も目の前で三菱自動車が新車を発表、販売しています。結局は倒産を回避して存続しています。あえてもう一度取り上げるのは、三菱財閥がまさに絵に描いた餅を並べてあたかも本当の餅のように世間を信じ込ませ、なんとか「三菱」を守った過程を再現しようと考えたからです。繰り返しますが非難するわけではありません。どんな会社でもこうやって残ってしまう、存続してしまう舞台裏をのぞいて欲しいです。

実は倒産!半年間で5000億円が消失

2005年1月初め、三菱に深く知る金融関係者が一年の邪気を払い延命を願うお屠蘇に二日酔いしたかのような思いを明かしてくれました。「いやあ、年末までドキドキだったよ。あと数十億円で倒産しそうだったんだ。あれで三菱が飛んだら、笑いモノだったよ」。2004年、リコール隠しなど不正事件が相次いで発覚した影響は三菱自動車の販売を直撃していました。その年の7月、予想を上回る急激な経営資金の不足に直面したため、三菱重工、三菱商事、東京三菱UFJ銀行(当時)など三菱グループは4960億円の資金を工面しましたが、なんとわずか半年間でほぼゼロにまで枯渇してしまったのです。1月4日に資金がアウトする寸前にい追い込まれたのですが、三菱商事がなんとか代わって資金を補充、切り抜けました。三菱自動車は人員整理や工場閉鎖など大幅なリストラは実施していません。経営改革の損金処理はゼロです。それでも5000億円の資金が蒸発したのです。

「あの三菱財閥が自動車をつぶすわけがないだろう」日本最大の財閥である三菱グループが支援する三菱自動車の経営再建は世間でこう受け止められていました。しかし、三菱グループの内実は全く違いました。国内販売はどん底を這う水準にまで落ち込んでおり、販売を上乗せするために走行距離5キロという「中古車」が出回るほどディスカントされた事実上の新車が売られていました。なによりも米国市場は赤字から抜け出せない。外部コンサルトントの調査でも「米国市場の撤退は不可欠」との結論が出ていました。社内を見ると、開発陣を中心に退社する社員が続出しており、新車開発にめどがつかないと嘆くほど。

三菱財閥の内実はバラバラ。銀行は倒産を通告

こうした自動車の経営内容の酷さから、東京三菱UFJ銀行は融資を含めて資金供給のストップを検討し「つぶしても良い」と一度は通告しています。三菱商事は手の施しようがないと呆れ顔。事実上の親会社である三菱重工はなんとかしたいと思いながらも、先立つモノ、つまり資金力がない。しかも、重工の会長と社長が自動車支援に対する見方に開きがり、一枚岩になっていない。三菱重工が主導権を握って再建計画をまとめあげようとしても、グループ内の利害を調整しようにもできず、その実現性に疑問符が消えない。まさに立ち往生していました。

共通していたのは三菱財閥に対する世間の視線です。「銀行はあれだけ威張っていて、商事はあれだけ利益を上げていて。重工はカネがないからしょうがないかなと同情されても、三菱の財閥として何もできなかったとなったら世間は許さないよね」とある三菱グループの役員は自嘲気味に語っていました。それはそうです。愛知県や岡山県に主力工場、下請け工場を数多く取引しており、全国に販売会社のネットワークを広げています。毎日、三菱ブランドの車は当時で650万台が国内で走っています。雇用を含めて日本経済への打撃は計り知れない。「三菱グループが一丸となったら、トヨタ自動車よりも大きな力を持っている」とグループ企業から声が出るほどのチカラを持っている。自動車一社ぐらい救済できないわけがない。当時の小泉純一郎首相の顔を思い浮かべたら、三菱財閥がつぶすわけにはいかない。もちろん、官邸から「倒産はありえない」との意思表示がされていました。

日産は安売りを待つ

再建計画のもう一つの柱である日産自動車との提携はどうか。軽自動車の供給などが想定されていたが、当の日産自動車トップは「軽自動車だけでは日産にとってメリットはない。といって、日産と三菱の工場を相互に活用するとしても、自動車生産はそう簡単に変えられない。生産方式は会社の歴史が反映しており、提携効果を生み出すのは無理」と後ろ向きの発言が提携交渉では出ていました。日産トップのカルロス・ゴーン社長は、「三菱グループで自動車の経営再建はできない。そのうち安売りに出るまで待つ」という作戦でした。思惑とおり、2005年1月中に日産は三菱自動車と提携を発表しますが、予想以上に身軽に引き受けることができたのです。

三菱自動車の再建の経緯は当時のメモをめくりながら、記憶を思い出していると我ながら情けなくなります。自動車会社という巨大な企業がスーパーの店先で「これは高いよ、もっと安くならない。だめなら他で間に合わせるよ」との交渉を重ね、売買される風景と重なります。気を取り戻して、いつか詳細な物語を書くつもりです。

製造業を再生できなければ、日本の未来は危うい

日本経済の基幹産業である自動車でさえ、この有様です。企業は激しい競争を繰り広げながら、そこで淘汰された企業が未来を担う。そんな資本主義の絵空事はまさに絵に書いた餅でした。三菱自動車の経営再建計画の作成に携わった経営コンサルタント会社の指摘が最も適切かもしれません。

「三菱財閥は自動車をつぶさない結論を出して成功した。そして事実上、自動車産業から三菱ブランドから消すことに成功した」。

日本の産業、企業の競争力が世界から取り残され始めている今、私たちが学ぶことは小手先の産業政策、経営改革に終始していたら、自分たちの未来をも消してしまう怖さを思い知ることです。

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