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ほぼ実録・産業史20)三菱自動車の崩壊が始まる 革新できず取り残される日本の製造業の実相

 2004年12月には再建策の修正計画を発表する方針だけが打ち出されます。内容はなくても、方針を発表しないと三菱自動車がすぐに消えてしまいそうだからです。抜本的な再建計画がまとめられないうえ、販売を支える新車は翌年2005年秋まで予定されていません。開発を前倒しする資金はありませんし、なによりも開発やデザイナーなど人材流出が始まっています。泥船ならぬ泥車から乗客は飛び降りていきます。

目の前には解体か、国を頼るか、法的整理か

 三菱自動車の目の前に広がる風景は絶望的です。一つ目は事実上の解体。増減資を繰り返しながらなんとか生き延び、その間に軽自動車、北米事業、欧州事業などと事業を切り売りする案です。前回も書きましたが、親会社である三菱重工が自動車メーカーを経営する経験も自信もありませんから。かつて韓国の現代自動車は三菱からの技術供与で世界の自動車市場へ躍り出るきっかけを得たように、中国などアジアの新興自動車メーカーが三菱を買収することもありえると踏みました。

 2つ目は産業再生機構(当時)による時間稼ぎです。すでにわかっていると思いますが、このまま時間が経過しても再建案がまとまりそうもありません。日本経済の基幹産業である自動車が経営破綻すれば、岡山県、愛知県など主力工場がある地域に限らず経済全体に与える悪影響は計り知れません。国が一度預かる手はありました。しかし、リコール隠しなど相次ぐ不正事件を起こして元社長が逮捕されている会社です。「反社会的な会社を救済して良いのか」という非難は免れません。実際、政府を巻き込む検討課題として俎上には載っていましたが、高度な政治判断が求められていました。

 3つ目は法的整理です。三菱グループを挙げて支援しても、もう延命策の域を脱することができないのはわかっていました。ダイムラーに代わる新しく経営支援するスポンサーが現れたとしても、法的整理後の方が債権・債務の処理が容易に進むうえ、割安に三菱自動車を手に入ると考え、そう簡単に買収を決めることはない。もっとも三菱自動車の経営そのものはすでにエンスト状態に追い込まれているとはいえ、エンジン技術や生産基盤、タイを中心にしたアジアでの高い人気、欧州各社との提携関係など活用できる材料・価値はまだあります。一度、法的整理にまで持って行って、次のステージへ移る方がスムーズに再建が進むと考える案でした。

 2005年1月、さまざまな憶測のなか、三菱自動車の新しい経営体制は決まります。会長には三菱重工の西岡喬会長、社長には三菱商事出身の益子修氏が就任します。しかし、経営再建案はまだ星雲状態のままでした。

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