秩父・奥多摩 魅力ある地域の自治体が「消滅可能性」の現実

大谷洋樹の岩手の風

 民間組織の人口戦略会議が2050年までの30年で運営が立ちゆかなくなる可能性のある自治体を公表しました。東京で暮らしていた時、よく訪れた埼玉県西部と東京の奥多摩地域がすべて含まれていました。山村の自然と歴史や文化に魅力を感じる僕はやるせない思いです。

旧道や峠を越える山道、山深さが魅力

 転勤で岩手に住み始めた20年近く前まで秩父や奥多摩によく行きました。埼玉、山梨県境の笠取山南面にある多摩川の水源地を訪ねました。「水干」(みずひ)といわれる水源は、しっとり濡れるくらいに水があふれ出しているだけのようでした。

 バスにずいぶんとお世話になりました。旧道や峠を越える山道にひかれ、交易の道「奥多摩むかし道」を歩いたのを覚えています。今はなき大滝村(現秩父市)。埼玉県最西端、4都県と接する山深い村でした。車で巡っていると思いがけず日窒鉱山跡に出会い、歴史を刻んだ荒涼とした雰囲気にのまれました。

 東京都奥多摩町、檜原村。埼玉県秩父市、横瀬町、長瀞町、小鹿野町・・・。秩父夜祭、三峰神社、観音霊場巡り、鉱泉、秋の七草寺巡り、わらじカツ丼の店、蕎麦打ち体験の宿・・・。僕が命の洗濯をさせてもらった懐かしい所は皆、消滅可能性リストにあります。

首都圏の首長は「できることはやってきた」

 岩手に移り住んでから、有楽町であったふるさと回帰フェアで秩父のブースに立ち寄ったことがあります。空き家リストが用意されていました。賃貸物件はなかったようです。こちらシニア世代が希望する話とかみあわないと感じると同時に、僕自身やりたいことがもやもやと定まっていませんでした。生活をイメージできず、結局は観光の延長でしかないと。

 公表を受けて東京新聞で伝えられた、首都圏の首長さん方々の「できることはやってきた」との話は偽らざる思いでしょう。一喜一憂していられません。岩手をはじめ全国の山村を歩くと、観光にしても移住促進策にしても個々の自治体では限界と感じます。何をやるにも人の力が必要です。

 そもそも生活の維持が問題です。医師の偏在。小児科や産婦人科が身近になければ子供を産み育てられる環境といえません。教育。統合された小中一貫校にスクールバスで通い、高校は地域を離れ、下宿や寮でなければ片方の親が子供についていく。貧弱な公共交通。ライドシェアはタクシー会社がある都会の話です。

いかに山村に根ざす生業を育てるか

 では、このような人のいない過疎地で雇用を創り出せるでしょうか。製造業などの誘致や起業は容易ではありません。起業なら生活にカツカツしなくてもいいシニア世代や富裕層でしょう。何より山村の自然風土に根ざす生業を育てること。僕は林業に注目します。秩父に金子製材という会社があります。ホームページによれば昭和19年創業、国産材専門、川上から川下、山から木の利用までわかる企業です。昔は山仕事で人が往来した秩父や奥多摩。林業の復活こそ山村がよみがえる道だと考えています。

大谷 洋樹 ・・・プロフィール

日本経済新聞記者、生活トレンド誌編集などを経て盛岡支局長を最後に早期退職、盛岡市に暮らす。山と野良に出ながら自然と人の関係を取り戻すこと、地方の未来を考えながら現場を歩いている。著書に「山よよみがえれ」「山に生きる~受け継がれた食と農の記録」シリーズ

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