ほぼ実録・産業史)四菱のダイヤモンドが照らし出す日本製品の功罪 連載15
四菱自動車のブランドは、まさに日本製品の強さと弱さを体現しています。それを功罪という表現を使って良いのか迷いますが、四菱自動車の浮沈の歴史を検証すると、日本の製造業の宿痾が浮き彫りになるのは事実です。四菱グループに厳しい見方が混じるかもしれません。しかし、日本の製造業に対する悲観論ではありません。世界の中での立ち位置を再確認するとともに、四菱グループが鏡となって悲観論でも楽観論でもない日本の製造業の素顔を映し出してくれるはずです。
日本の製造業の鏡として強さと弱さを映し出す
四菱グループは説明するまでもなく明治以来の日本の歴史とともに歩んできた企業グループです。財閥としても四井グループを寄せ付けない強さを見せます。四井財閥は優秀な人材が多いのですが、良くいえば人間力に頼り切ってしまう企業経営。時には裏目に出ることもあります。これに対して四菱財閥は組織力が命です。「人の四井、組織の四菱」といわれる所以です。宇宙人と呼ばれた四菱商事の社長もいました。四菱の組織論から見れば許容範囲です。商社の社長は四菱に限らず対外的な発信力が最大のミッションです。実際の企業経営は代表権を持つ各事業本部長が握ります。美しい表現ではありませんが、「商社の社長は水洗便所」と言われます。その心は、「いつもキレイにしてある」。商社の業務は時にはグレーゾンの危ういビジネスが避けられません。最後に何があっても「社長は関与していない」と線引きをしておかないと会社が潰れてしまいますから。ことほど左様に企業経営から個人の顔が消え、四菱ブランドを求心力にまとまる総合力が四菱の強さであり、日本で随一の企業グループを形成した原動力です。
しかし、自動車は財閥では二流扱い
四菱財閥の中で、自動車は二流の扱いです。二流だからこそ四菱の掟から多少外れたとしても、大きな批判の声がほとんど出ない。よっぽどのことがない限りは注目も浴びません。なんとか四菱重工業の殻を脱皮して、自動車メーカーとして自立の道を歩もうとしても、製品力や販売力では織田自動車や日進自動車の足元にも及びません。優れた車を生産する実力はあります。ブランドやデザインなどに不満があっても、払った金額と実際の性能を天秤にかけても不満は出ません。ただ、購入者に大きな夢は与えるほどのオーラが企業カラーに見当たらない。四菱自動車は日本の製造業の中流階級を代表する企業といえます。
小さな組織改革に経営の不正事件を招く兆しを見る
しかし、1989年に就任した有村陽一社長は四菱財閥の二流会社の地位に甘んじることができませんでした。
「ダイヤモンド」。1990年、有村社長の思いを体現した新ブランドの乗用車が登場しました。四菱の車種構成で数少ないヒット車だった中級セダン「アルファ」を引き継ぐ形でフルモデルチェンジしたものです。これまで織田自動車、日進自動車、オンダの後塵を拝してきた四菱にとって、真っ向から乗用車の主戦場へ攻めに転じた意欲作でした。デザインはドイツの高級車AMWに似たフロントマスクを採用して高級感を醸し出します。得意の駆動系はF F(前輪駆動)と4WDを揃え、車内空間の広さを強調しました。当時の上級セダンは走りを重視するFR(後輪駆動)が主体でした。FFは小型車で採用される例がほとんどでした。
異彩を放つ車体のデザインと先進的なシャーシーを搭載した「ダイヤモンド」は従来とは違った新しい上級セダンの需要を刺激、大ヒットします。ちょうど日本はバブル経済の真っ最中だったことも幸いしました。個人消費が真っ赤に燃え、高額商品をためらいもなく購入するのが当たり前の時代です。「ダイヤモンド」が切り開いたFF(前輪駆動)の上級セダンには織田や日進など他社も追随し、乗用車市場に大きなインパクトを与えました。その年のカー・オブ・ザイヤーも受賞しました。
見かけは絶好調です。しかし、この攻めが四菱自動車の経営の歯車に変調をもたらします。前身の四菱重工業から継承したDNAは目標に到達するまで突き進むというものです。軍事産業である重工業は設計と開発目標が定まれば、ゴールまでかならず到達しなければいけません。途中、設計ミスや開発の失敗があってもストップすることはありえない。それは社内に異論があっても、侃侃諤々の議論を巻き起こす空気を許しません。軍事産業では通用します。自動車は高級消費財です。しかも、消費者の信頼を裏切る安全性を見逃すことは許されません。しかし、四菱自動車は目標に向かって突進し、達成することが経営目標になっていました。幸いにも結果はついてきました。この結果、経営の変調が経営の不正に変わる兆しを見落とします。
例えば進撃の御旗である「ダイヤモンド」のカー・オブ・ザイヤー受賞。商品力があっても販売力が弱い四菱にとって、販売の底上げに直結する同賞の獲得は喉から手が出るほど欲しかったのです。自動車評論家らの審査を経て決まるわけですが、クルマとしての優秀さがこれまで以上に広く伝わります。当然、販売台数が増えるのは確実です。
当時、奇妙な組織改革がありました。広報部と宣伝部が合体し、広報宣伝部が新設されたのです。一般の目から見れば広報部も宣伝部も同じと思えるかもしれませんが、情報発信の視点は180度違います。自動車は排ガスや交通安全など一般社会に深く関わり、しかも個人消費や輸出など日本経済に大きな影響力が持つため、企業経営の社会的な責任を自覚した情報発信が求められます。万が一製品不良や会社の不正が発生した場合、経営者は記者会見などで説明する必要があります。公の場に出るのを嫌がる経営者を引っ張り出すのが広報部の役割でした。一方、宣伝部は自社製品を拡販する目的でテレビや新聞、雑誌などに広告を掲載します。企業側が届けたい情報を扱うのです。
水と油の関係に似た広報部と宣伝部が一体となると、どんなことが起こるのか。広報部といえども会社人の集まりです。商品の広告宣伝の効果を引き出すために、発信する情報の質と内容は変わっていくのは当然でした。カーオブザイヤーを受賞するために総力を上げます。広報のネットワークを通じて自動車評論家以外の新聞・テレビにも商品のPRに力を入れる一方、海外で開催する試乗会への招待、あるいは国内での試乗会に参加した場合は高額な交通費を渡そうとしたり。企業倫理上、逸脱してはいけない範囲とビジネスの範囲の仕切り線が見えなくなってしまったかのようでした。
「ダイヤモンド」の売れ行きは右肩上がりを維持します。いわゆる「結果オーライ」の声が聞こえそうです。一見、広報と宣伝の一体という些細な組織変更に見えますが、「神は細部に宿る」という言葉を思い浮かべてください。真逆の意味合いになりますが細部から燃え上がった小さな火はすべてを体現しているのです。全社的に企業倫理、社会的責任に対する自覚が薄れ、軌道修正しようとする社内の抑止力が効かなくなり、そして経営の屋台骨を揺るがす不正を招きます。
1989年に就任した有村陽一社長は「ダイヤモンド」の大ヒットはじめスウェーデンの自動車メーカーとの提携による欧州合弁生産、SUVの先駆となる「ポジェロ」、「ランエヴァ」など世界戦略と個性的なクルマ開発を相次いで成功させました。四菱自動車は販売不振の日進自動車やオンダに急接近します。織田自動車に次ぐ第二位に手が届きそうな勢いを成し遂げた社長です。異論を挟むなんて、とてもできない実力者でした。社長の独走に歯止めがかかりません。本来なら組織力の四菱財閥から”指導”が入るはず。しかし、自動車は財閥中では格下です。それほど重視されませんでした。
天に手が届く寸前に不正が発覚、奈落へ
もう少しで天に手が届くという時に階段が崩れ始めます。1996年、環境にやさしい画期的な排ガス技術として「直噴エンジン」が登場しました。学会や海外からも高い表彰されたほどのエンジンです。しかし、その後燃費データの不正が明らかになります。他の車両でのリコール隠しなどいくつかの不正が重なり、四菱が築き上げた高い人気は脆くも消えてしまい駆け上がった階段から奈落へ向かいます。最近、三菱電機の不正が相次いで判明しています。根っこは同じです。