アフリカ土産物語(33)黄金伝説の古都マリ・トンブクトゥ「サハラの星を信じて進め」
「砂漠化の最前線にあり、町ごと砂にのみこまれようとしている」。そう聞いていた古都トンブクトゥは地面も建物もすべて砂粒の薄茶色に覆われていた。サハラ砂漠でラクダの隊列を率いる遊牧民トゥアレグの青年と見上げた満天の星空が忘れられない。
金と塩を求める交易が黄金都市伝説を創る
トンブクトゥは地中海沿岸から金を求めて訪れるアラブの人々と塩を求めて北上する黒人たちの交易で栄えた。ニジェール川上流の南方で採掘された金はここから地中海を渡り、ルネサンス期の北イタリアで金貨に鋳造された。マリ王国のマンサ・ムーサ王がメッカ巡礼で見せた散財ぶりが広く伝わり、14世紀に「黄金都市伝説」が生まれたという。
15世紀はイスラム教、天文学などの学術都市
一方で15世紀ごろにはイスラム神学校が100校以上あり、イスラム教や天文学などの研究が盛んな学術都市としても知られた。若者に案内を頼み、マンサ・ムーサ王が14世紀初頭に建てさせた西アフリカ最古のジンガレベルモスク、大規模なアラビア語学校だったサンコーレモスクなどを見て回った。
砂漠に入ると、「2000 横浜市立浦島丘中学校」と書いた日本のNPOの植林事業の記念プレートを持つ青年が現れた。彼は「小さい苗木を育て、水やりをした。いくつかが大きく育ち、砂漠化を食い止めた。コジマ、タカダ、イナモト、モリ……」と懐かしそうに日本人の名を挙げ、「またプロジェクトを再開してほしい」と言った。
岩塩を運ぶラクダの隊列も
夜が更け、月の光に包まれた砂丘に出た。トゥアレグの男たちのシルエットがかがり火の赤い炎に浮かんだ。ヨーロッパからの観光客相手に伝統の踊りを披露していたのだ。テント生活を送るタバラという28歳の青年がそれを遠目に見ながら、「僕は750キロ北方のサハラの塩田から岩塩を100頭のラクダの隊列を率いて運んでいる」と言った。
5年前に他界した父に仕込まれた彼は「親父の頭には季節ごとに姿を変えるサハラの地形、風も光も、すべて入っていた」と振り返った。「星を信じて進め」という父親の遺言を胸に刻む彼は満天の夜空を指さし、「あれがサハラの星だ」と言った。
「サクッ、サクッ」。砂を踏みながら深夜の町を歩くと、ライトアップされた平和の記念碑があった。トゥアレグとマリ政府が戦闘への決別を誓うモニュメントで、内戦で使われた銃が土台に埋め込まれていた。
宿に戻り、2004年の元日を迎えた。部屋の白黒テレビにトゥーレ大統領が演説する映像が流れていた。1991年に民主化要求のクーデターを起こし、一党独裁の大統領を逮捕して民政移管を指揮した軍人だ。退役後の2000年に日本でのシンポジウムに招かれた際、名刺交換をしたことがあり、2002年に大統領に就任して民主的な政権を担っていた。
世界遺産のロマンスは紛争で吹き飛ぶ
ところが、トゥーレ政権は2012年の軍事クーデターで倒された。トンブクトゥはトゥアレグと共闘してマリ北部を制圧したイスラム過激派の支配下に置かれ、偶像崇拝との理由で歴史的な遺産である聖廟が破壊された。翌年、フランスが軍事介入して奪還したが、ロマンあふれる世界遺産都市のイメージは吹っ飛んでしまった。(城島徹)