アフリカ土産物語(18)エチオピアのコーヒー 茶道に通ずる文化

 

青空市で売られるコーヒー豆

 コストや効率を常に意識させられる日常のなか、エチオピアでゆったりとした時間に身を委ねた記憶が時によみがえる。どこか懐かしさを覚えるのは彼らに日本人と似たメンタリティを感じるからだろうか。深い味わいと思索の体験が今回の土産話である。

コーヒーで客人をもてなすセレモニー

「モカ」の原産地とされるエチオピアではコーヒーが大切な輸出品というだけではなく、人々の暮らしに深く根づいている。客人をもてなす「コーヒー・セレモニー」には決まった手順があり、日本の茶道にも通ずるものがある。

ラリベラの人々

静かな時間が流れるコーヒー・セレモニー

 洗った生豆を鉄板で煎るところから始まり、香りが立ち上ると客人にかいでもらう。その熱い豆を木の棒で細かく砕き、壺に入れて煮立てる。粉状の豆が沈むのを待ち、小さなカップに注いでふるまう。これを三回繰り返して煮出しするのだ。

 2003年9月の昼下がり、岩窟教会がある聖地ラリベラの民家でコーヒー・セレモニーに招かれた。美しい女性が黙ってふるまうさまは映像のようにまぶたに残る。ゲストが思索にふけるように目を閉じる姿は、SNSの交信にせわしい現代人とは無縁の静謐さがあった。

 その数日前、国境紛争で帰属先が隣国エリトリアへ移った国境の村バドメを訪ねた。車は知らぬ間に国境を越えて爆撃で崩れた家屋が並ぶ集落に入った。平時なら密入国だが、村人たちは「我々はエチオピア国民だ。断固戦う」と息巻き、自動小銃を握った。

国境のバドメで銃を手にする村人

戦地の日常でもコーヒーを味わう時間がある

 戦闘の生々しい話を聞き終えた私に、村長は「うちでコーヒーを飲んでいきなさい」とほほえみながら言った。光栄な申し出だったが、日没が迫るなか、コーヒー・セレモニーに要する時間を考えると帰路のリスクが高まるため、丁重に断って現地を離れた。そのとき、戦地の日常にもコーヒーを味わう時間があることを知った。

 エチオピアの家庭にはセレモニーなしでも、穏やかな会話を楽しむ時間が流れていた。貧しくても達観した表情で人生を語るさまは諦念とでも言うべきか、せかせかしないで悠然と生きなさいと暗に諭しているかのようでもあった。

達観した表情で語る朝鮮戦争の元従軍兵士

 首都アディスアベバで会った二人の朝鮮戦争の従軍兵士もそうだった。当時ともに70代のタデセさんとメスフィンさん。ハイレ・セラシエ皇帝の統治下にあった親米国家エチオピアは1950年、米国主導の国連軍に加わり、彼らを含む青年を多数派遣した。

コーヒー片手に朝鮮戦争の思い出を語る

 22日間の船旅を経て釜山港へ到着した2人は米兵から「ウエルカム」と声を掛けられた。現地では短銃を腰に、オペレーターとして交信作業に当たったといい、軍服姿の記念写真を見せながら、「これは休暇で行った横浜のスタジオで撮ったんだ」と振り返った。

 「いつの時代にも戦争はあるものさ」「今もしコリアを訪ねても困らんよ。文化や土地を知っとるからな」……。2人はそう言いながらコーヒーをすするのだった。

 エチオピア産のコーヒー豆は世界中のカフェに出回り、マニュアルに沿ってオートマチックに抽出、提供されている。日本の系列店では、そのカップを横に置いたまま、パソコンやスマホの画面を凝視する客の顔が並んでいる。(城島徹)

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