西脇順三郎の無限循環が、ハンセン病療養所の文芸誌と重なる時

野原をさまよう神々のために まずたのむ右や 左の椎の木立のダンナへ (中略) ああサラセンの都に 一夜をねむり あの騾馬の鈴に 目をさまし市場を・・・・・・

 西脇順三郎さんの詩作「壤歌」の書き出しです。「サラセンの都」から中東の神話、宗教、歴史が主題なのかと思い、読み続けると突然「ヴェネツィアのウドンを たべている窮達をむしろ よろこんでいるとは!」が顔を出し、一気にイタリアに飛翔。まもなくマキャベリ、シェイクスピア、ショパンが相次いで現れ、そうかヨーロッパ・中東が舞台と納得していたら、いつのまにか「アパートの前を通って ゾウシガヤへ用事へ出かける あとはハイライトをすう」と日本に戻って歩き回り、タバコを吸っています。融通無碍とはこのことかと驚いていたら、驚きはまだありました。読んでも読んでも終わりがありません。

 西脇順三郎全集2巻に収められた「壤歌」をどこまで続くのかと恐ろしくなり、ページを捲り続けたら100ページを超える長い作品でした。小説と違って1ページに収められている字数は少ないとはいえ、なかなか体験しない長編作です。ただ、詩人が時間と空間を超えて自由自在に思いを馳せ、吐露するダイナミズムに魅了され、時には呆気に取られながらも、なんとか読み通すことができました。

詩の世界に終わりはない

 第2巻に収められている「第三の神話」「失われた時」などもそうですが、読み終わると無限循環という言葉を思い浮かべてしまいます。凡才ゆえに詩人の思いの丈は理解できていませんが、脈絡がないと思われるエピソードが切れ目なく続く風景から、予想できない新たな風景を描き出す手法に快感を覚えます。

 宇宙旅行が身近な存在になった時代とはいえ、実際にペルシャからイタリア、そして日本へと瞬間移動できるわけがありません。インターネットを使った仮想空間の世界を飛び交うしかないでしょう。でも、西脇順三郎さんの詩作は物理的な制約など存在しないかのように自由にあちこちに行き来しています。詩の世界に終わりはなく、自身の生命力で無限に描き続けることができるかのようです。

詩集「いのちの芽」

 詩作の自由、創造する力。この素晴らしさを改めて感じたのが詩集「いのちの芽」(大江満雄編)でした。1953年、全国に8か所あるハンセン病療養所から73人の作品を収めて発刊した詩集で、国立ハンセン病資料館が2023年2月に復刊しました。ハンセン病の作家、北條民雄、歌人の明石海人が知られていますが、詩集に収められている詩作も言葉、表現に心打たれます。

 ハンセン病療養所の入所者は、感染力などの誤解から家族、社会から隔離され、所内で生活する日々が続きます。

あなたがたが、若し癩に冒されていなかったらとしたら、

私が若し癩に罹らなかったら、

若し、あなたがたが癩院に居なかったとしたら。

 詩集に収められている「邂逅」と題した詩は、こう始まります。吉成稔さんの作品です。1920年に生まれ、中学生の時にハンセン病を宣告され、17歳の時に療養所「長島愛生園」(岡山県瀬戸内市)に入園します。1945年に結婚し、本人は47年に、奥様は前年の46年にそれぞれ盲目となりました。

生命力が詩に創造と自由を

 「邂逅」は、出会いの重要な意味を知る努力をしなければ、「悪魔はあなた方と私の肉性に働きかけ、苦しめ合い、憎み合い、傷つけ合う。絶望の地獄に、転落せしめるだろう」と綴った後、「邂逅は愛なり、と、あなたがたも私も心奥から知り得たとしたら」と続き、病による障害の違いはあるものの、「邂逅の意味を実感し、互いの霊と霊の肌と肌とで暖めあおう。点と点の短い生命の、この現実の邂逅を」で終わります。

 他の詩作を読んでも、言葉で語り尽くせないであろう境遇の中での絶望を吐露しながらも、生きる力を見出す豊かな精神性に心を打ち抜かれます。一つの詩に込められた言葉の重さに言葉を失いかねない痛みを覚えますが、すべては思いの丈を言葉に込める創造力の強さ、自由さに裏付けられていると感じます。

 「ふれあい文芸」(令和五年版)と題した書籍もあります。療養所の詩人のほかに初めて療養所を訪れた人、交流を続ける人の作品も収録されています。宮下しのぶさんは、療養所で接した驚きと悲しい現実を「桃」と題して入所者とのやり取りを綴った後に次のように終わりました。

そうだ 次 来るときは 私が桃の皮をむいて 一緒に笑って 一緒に食べよう  うん そうしよう

 詩の選者は「静かな眼差しを感じます」と評しながら、「迷いのない結論を示している詩にエールを送ります」と自らの感動を吐露しています。

 自由に書ける喜びに感謝したい気持ちを改めて噛み締めています。

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