アフリカ土産物語(20)ナイジェリアの洗礼 恐怖の爆走タクシー
エネルギッシュでカオスな世界に飛び込む
アフリカに赴任して最初の出張先が大国ナイジェリアだった。2001年5月。大統領インタビューが主目的だったが、空港でのワイロ要求やホテルで放置されるなど衝撃的な洗礼を受けた。今では懐かしいが、エネルギッシュでカオスな世界に飛び込んだのである。
首都アブジャの屋外市場
最大都市ラゴスの国際空港に着くや、「オレの車で」と運転手が殺到した。妙な場所に連れていかれないよう、日本で会った元国家元首とのツーショット写真を葵の紋章よろしく掲げてタクシーに乗り込む。ところが空港係員が「駐車場へ」と誘導してワイロを要求する。さすがに運転手が「ごめん。あいつら頭がおかしいよ」とアクセルを踏んだ。
最悪の民主政権でも最善の軍事政権には勝る
「最初の晩はトラブルがないように」と高級ホテルを予約しておいたが、フロント係は一時間半も待たせた挙げ句、「ノールームだ」と言い放った。あきれつつ、「上等じゃないか。あした大統領に話しておこう」とかますと、ようやくルームキーを渡すのだった。
2時間ほど仮眠をとって朝の国内便で内陸の首都アブジャに飛んだ。70年代に建設された人工都市で、人口急増のラゴスから1991年に遷都されていた。長期の軍政下で国民が抑圧される時代が続き、国民の70%が1日1ドル以下で暮らす最貧困生活者だった。それでも現地の記者は「最悪の民主政権でも、最善の軍事政権には勝る」と言った。
インタビューしたオバサンジョ大統領(首都アブジャの公邸で2001年5月)
アブジャに着いた日の夕方、オバサンジョ大統領と公邸で会見した。「エイズ対策で先進国から巨額の支援が必要だ」というインタビュー内容より、視覚的な記憶の方が鮮明に残っており、会見した部屋は小ぶりで、ライオンの絵画が飾られていた。
大統領の足元を見るとサンダルで、ニュッと出た足の指が見えた。頭の帽子は片側を折ったヨルバ族の伝統的特徴がうかがえた。2カ月後にザンビアの国際会議で顔を合わせた時も似た帽子をかぶり、ニヤッと笑うと握手の手を差し伸べた。
「FELA(フェラ)」トレバー・スクーンメイカー(現代美術キュレーター)編著
アブジャから宗教対立の取材で北部のイスラム支配地域を回ってラゴスへ戻った私はある晩、伝説的ミュージシャン、フェラ・クティ(1938−97)が拠点とした約20キロ郊外のナイトクラブにタクシーで向かった。これが恐怖の体験だった。
街灯が消えた高架上の道路を猛烈なスピードで走りだし、減速しないまま闇に向かって右に左にカーブしながら敵討ちのように飛ばす。かといって制止すれば、急ブレーキでスピンしかねない。黙ったまま座席で凝固し、「どうか早く着いてくれ」と念力をかけ続けた。
爆走タクシーはファンクとジャズと土着のリズム
クラブはがらんとした体育館のような建物だった。休演日で、ナマズの煮込みスープを味わって引き返した。ラゴスの爆走タクシーは、ファンクとジャズに土着的なリズムを織り交ぜたフェラのアフロビートに勝るとも劣らない強烈なリズムを私の中に刻んだ。
ラゴスの海岸で青年が売っていた舟の木工品
朝のラゴス。ホテルそばの海岸で仕事にあぶれた青年が舟の木工品を売っていた。約300円なり。廃材らしき木片を使ったのか、子どもの図工レベルの出来栄えだったが、迷わず買い求めた。貧困国家の現実を映すリアルな土産に思えたからである。(城島徹)