アフリカ土産物語(25)世界的歌手の老父 セネガルでの出会い
セネガルの首都ダカールから圧倒的な歌唱力で世界に羽ばたいたのがユッスー・ンドゥールだ。初めて訪れたこの街で出会った人たちのおかげで、アフリカンポップス界の大スターの魅力がさらに膨らんだ。
ユッスー・ンドゥールはダカールから世界へ
2001年の「9・11米国同時多発テロ」から間もない秋、パリからダカールに飛んだ。アフリカ特有の土着的エネルギーと旧宗主国フランスのおしゃれな雰囲気が溶け合う魅力的な街だった。旧市街でテロの感想を聞いて回っているうち、ユッスーの幼なじみの青年と出会った。彼は海沿いの墓地まで私を案内し、「ユッスーは毎晩、誰もいないこの場所でのどを鍛えたんだ」と得意げに言った。
大地から湧き起こるサウンド
「ここが原点なのか」。祖国の伝統音楽をベースに欧米ポップスの要素も取り入れたサウンドと大地から沸き起こるかのような力強い歌声がよみがえった。しばし感慨に浸っていると、青年は「彼のおやじさんに会おう」と道路沿いの小さな家具屋に向かった。
小さな店の椅子に細身の老人が腰かけていた。家具職人のエリマン・ンドゥールさん、ユッスーの父親だった。孝行息子を「いつも何かに夢中だったよ」と回想し、古い家族アルバムを開いた。「うちはグリオ(語り部)の家系で、息子の母親も歌がうまかったんだ」。そう言いながら、額縁に入れた妻の写真を取り出した。
「いつも何かに夢中だったよ」と父
祖国の英雄となった息子について「小さいころから物を欲しがらない子でね。私にお金をせがむこともなく、悪さもしなかった」と誇らしげに言葉をつないだ。その穏やかな口ぶりから信頼と愛情に包まれたファミリーの雰囲気が伝わってきた。
旧市街で乗ったタクシーで、またひとつ「出会い」があった。フロントガラスにひびが入り、乗り心地も決して良くなかったが、いきなりカセットテープからユッスーの歌声が大音響で鳴り出したのだ。打楽器のジェンベの炸裂音に、コーランの詠唱を想起させる節回しが絡む。「これ、いいなあ。土産にしたいので売ってよ」と運転手に頼み込んだ。前年のパリ公演を収録したものだ。それを聴くたび、あのダカールの雑踏が鮮明によみがえる。
この「Youssou N’Dour et le Super Etoile – Aziz (Bercy 2000)」のYouTubeはこちらから
あれから14年後の2015年春、セネガルに出張した友人に、私が撮った写真をエリマンさんに渡すよう託した。あの家具屋を訪ねた友人を、90歳になった老父は優しく迎え入れ、こう言ったという。「この写真を持ってこようと思った君の意志のおかげで、17歳からダカールに住む私はこうして君と出会い、話をしている」
「ゆっくりでも歩いていればたどり着くんだ」
「人生というものは早かれ遅かれ自分の行き着くところには到着する。生まれた時には何になるかなんて分からないけど、ゆっくりでも歩いていればたどり着くんだ」……。友人は美しい詩のような言葉に心打たれたという。その報告を聞いて、スーパースターにこの父ありだと納得した。(城島徹)