アフリカ・番外編. タイガースは大阪、アフリカは貧困 ステレオタイプから逃れられない

20年前、アフリカで同じ大阪をイメージ

 阪神タイガースが14日、本拠地の阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で行われた対巨人戦で18年ぶりのリーグ優勝を決めた。18年前の2005年も岡田彰布監督が率いたチームでの優勝だったが、これより2年さかのぼる2003年の優勝は9月15日に甲子園球場で行われた対広島戦で星野仙一監督が宙を舞った。歓喜したファンの大群衆は大阪ミナミの道頓堀周辺に集まり、戎橋から5000人以上が川に飛び込む騒ぎとなった。

 当時、遠くアフリカに赴任していた私だが、「阪神といえば大阪」という古くから形容されるステレオタイプのイメージの発信に強い違和感を抱いた。それは「アフリカと言えば貧困」というイメージからの脱却に腐心していた気分と重なるもので、共通する違和感から「タイガースとアフリカ」と題した記事「記者の目」を書いてみた。本気で新聞に載せようという原稿ではなかったが、それを20年ぶりに引っ張り出してみた。2003年の執筆時の空気を伝える幻の記事をご笑覧いただけたら幸いだ。

(元毎日新聞アフリカ特派員・城島徹)

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タイガースの範囲はどこまで

 ライオンが王者とされるアフリカの大地で日本のトラが気になっている。快進撃を続け、リーグ優勝した阪神タイガースのことである。ファンの一人として喜びに堪えないが、「大阪の逆襲」「ナニワのド根性」などと大阪と結びつけて図式化しすぎる風潮には違和感を覚える。タイガースは大阪の枠を超え、もっと普遍的かつ懐深い魅力を抱えた存在ではないか。その思いは、飢餓、貧困、紛争など、ステレオタイプで語られがちなアフリカと向き合う私自身のジレンマとも実は通底している。

 タイガースとアフリカを並べて論じるのは飛躍しているぞ、というヤジが飛んできそうだが、日本一に輝いた1985年から10年間、私は神戸、大阪、甲子園(大阪府ではなく兵庫県西宮市)で暮らし、阪神電鉄沿線の空気には愛着を持っている。アフリカでもその感覚は失っていないつもりだ。

タイガースと大阪は一体か?

 先に断っておこう。私はタイガースの躍進で大阪が盛り上がることは当然だと思うし、それを非難する気など毛頭ない。ただ、タイガースを大阪と無理に一体化させて騒ぎ立てることに抵抗を感じるのだ。

 東京生まれの私が大阪でのタイガースの存在の大きさを痛感したのは1988年9月。「えらいこっちゃ。すぐホテル阪神(大阪市北区)に行ってくれ。掛布(雅之選手)が引退や」。大阪社会部に在籍時、デスクの指示で「ミスタータイガース」の引退会見を取材した。記事は大阪本社発行紙面の社会面トップでデカデカと扱われた。

 それでも、タイガースは大阪のスケールを超えた存在だ、との確信は持ち続けた。そして、終盤まで優勝争いを演じた1992年、阪神甲子園球場を拠点とするタイガースを、大阪と神戸にはさまれた西宮市など「阪神間」の風土、その地域の理念を映す村上春樹や手塚治虫などの作風も絡め、碩学の多田道太郎・京大名誉教授らと検証する機会を得た。

「飛び込み」は道頓堀か

 「優勝でもしようものなら、ファンが服を着たまま道頓堀川に次々に飛び込む騒ぎだ。大阪と神戸の間の『阪神』という微妙なニュアンスを吹き飛ばし、『アカ抜けしない大阪』のイメージを全国に発信する。が、ちょっと待てよ……」。これは、その時の記事の書き出しだ。

 歴代名選手の系譜をなぞれば、個人の技法やライフスタイルにこだわる個性派選手が多い。「物干し竿」(37インチのバットを振り回した藤村富美男さん)、「和製ザトペック」(力感あふれる投法の村山実さん)、「一匹狼」(「野球は一人でやるもんや」と語ったとされる江夏豊さん)など、あだ名もユニークだ。

 高度経済成長期と呼応するV9巨人当時の川上哲治監督が意識した「管理と統率」とは対極の「お家騒動」を繰り返した阪神だが、東京主導の禁欲的な「善」のモデルとも、「ナニワのど根性」とも違う特異なカラーは「大阪と神戸の“間”ならではの開放性、雑種性にもカギがある」(河内厚郎・関西文学編集長)のではないだろうか。

 まだ大阪タイガースと称されていた1936年当時、スポーツライターの草分けである虫明亜呂無氏はすでにタイガースを「巨人の田舎くささにくらべると、ハイカラで、粋で、いなせであった」と評した。「イメージは江戸っ子的だ」(東京生まれの映画監督、鈴木清順さん)との声も聞いた。

アフリカは「生きるために戦う」

 タイガースを語りだすとつい熱くなる。長くなったので話をアフリカに移そう。

 リーグ優勝目前の先月上旬、私は27年間の内戦に傷ついたアンゴラを取材していた。反政府勢力の元ゲリラ兵が、急死した戦友の亡がらを前に「棺を作る金がない」と途方に暮れる姿に出くわした。7万人もの元兵士の里帰りが進む同国の戦後を象徴する光景だ。「生きるための戦いは続く」と書いて記事にした。

 だが、紙面に盛り込めなかった光景もあった。遺体の横で「早く学校に行きたい」とはしゃぐ無邪気な子どもたちの姿だ。アフリカに目を向けてほしい思いから「悲惨」「飢餓」といった負のイメージに傾斜したことは事実だ。

 今月上旬は最貧国のエチオピアにいた。地方の村々の民家で何度かコーヒーをふるまわれた。簡素な泥壁の家で、欠けた茶碗に何度もコーヒーを注いでくれた女性。その気品と誇りに満ちた横顔を見て、「なんと豊かな人たちなのか」と感激した。

 そういえば、「悲壮感あふれる投球」の印象が強かった村山実さんは生前、私にこう言っていた。「悲壮感なんて何もない。長島茂雄さんとの対決でマスコミがそう表現したかったんやね」

 アフリカ特派員の拠点であるヨハネスブルク支局に猛虎旗を掲げつつ、「ステレオタイプのアフリカ」をなんとか脱却しなければ、と肝に銘じている。

(執筆は2003年10月)

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南アフリカで飼育されていた華南トラ

「阪神」は全国へ改めて魅力を

  以上、固定化したイメージへの憂慮を込めた20年前の原稿を読んでいただき感謝に堪えない。あの年と同じように、やはり今年も大阪ミナミの道頓堀川の両岸は阪神ファンで埋め尽くされ、テレビ局はグリコ看板の下の戎橋周辺から「阪神優勝で大阪は盛り上がっています!」と絶叫調で報じた。そんななか、シーズンを通して「優勝」を「アレ」と称し、記者会見で「おーん」を連発する岡田監督の独特の言語表現も捨てがたい味があった。村上頌樹(防御率)、岩崎優(セーブ)、近本光司(盗塁)、大山悠輔(四球)など個人記録にも配慮する〝浪花節的采配〟を見せつつ、大阪弁の枠を超えた間合いとユーモアでファンをうならせた。

 優勝監督インタビューでも自身が「阪神ファンの人は全国にたくさんいると思う」と口にしたが、彼の言葉は全国に阪神というチームの魅力を伝えたはずだ。2023年のリーグ制覇は「タイガースといえば大阪」というイメージを大きく変える節目になるかもしれない。

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