手話講座3年間の仮決算②聞こえない世界に耳を傾けない自分がいた

 初級講座の先生は2人。聴覚に障がいを持つ先生がメインを、健聴者の先生がサブをそれぞれ務め、手話と口話を使って理解を深める授業形式となっています。ほとんどの生徒は手話を理解できませんから、健聴者の先生が手話のイロハから教えるほか、メインの先生が手話で表現する内容を通訳する役割を務めました。サブといっても、NHKの手話ニュースや裁判所などで通訳を経験しているベテランです。

講師は聴覚障がいの先生と健聴者の先生の2人

 講師2人の力量に比べ、私の学習能力が乏しいので意味不明にキョトンとすることがたびたび。メインの先生はわかりやすい手話で教えてくれるのですが、指などの所作が速く、どうしてもわかりやすい解説付きの手話を演じる健聴者の先生に頼ってしまいます。本来学ぶべき手話の所作をまるで美しい鑑賞物を眺めるかのような時もあり、心底申し訳ないと思ったものです。

 不心得のツケはすぐに回ってきました。手話の表現を覚えたつもりでも、後講釈があると安心しきっていますから、手話が体に染み込んでいきません。講座の授業は2時間ですが、授業を終えて自宅に着く頃にはかなり忘れてしまいます。高齢者だから記憶力が低下していると弁解したいところですが、心の中では「鶏は3歩歩けば忘れる」とニワトリにはたいへん失礼な諺を自問自答していました。

 休講が相次いだ1年目も半年過ぎた頃でしょうか。手話を理解することは、耳の障がいを持って生活することを知ることだと気づきました。手話は手や指、顔など体全部を使って意思疎通する言語です。自分にとっては外国語を学ぶのと同じです。そういえば、英語を学ぶ際、日本で英語の教科書を眺めるより英語圏で生活した方が学習効果が高い。ならば、手話で生活する場面を知ることも大事だと考えたのです。

聴覚を失った生活を知る

 耳の障がいを持った先生は授業中、聴覚を失った生活とはどういうものかを教えてくれます。宅配便などが自宅を訪れ「ピンポーン」と鳴らしても聴こえません。来訪者を知らせるため、自宅の部屋に救急車に使われるような回転ランプを置き、その点滅で知る方法があるそうです。目覚まし時計も大音量でも目が覚めませんから、体を揺らすなどいろんな方法でアラーム時計の役割を務める方法を考えるそうです。

 近所で火事が発生した時の話はとても笑えません。自宅の近所が火事になり、消防車などが集まり、大騒ぎになっても気づかなかったそうです。周囲が避難などを始めても全く気づかず、様子を確認に訪れた娘さんが自宅にいる先生を見つけ、初めて知ったそうです。

 「自宅の火災はどう知らせるのか考えてみてください」とクイズ形式で問われたこともありました。睡眠中、音が鳴っても目が覚めません。散水するなら目が覚めるかもしれませんが、火災報知器は水は撒きません。ヒントは刺激臭と教えられ、わかりました。答は「わさび」。鼻の嗅覚を使うのか。驚くしかありませんでした。

緊急時に備え、笛をいつも首に

 先生は常に首から笛をネックレスのようにぶら下げています。この笛は、緊急時に鳴らして周囲に知らせるために使うそうです。観光地での経験談を教えてくれました。海外からの客も多く訪れる有名な観光地を歩いていたら、外国人の男性に突然、掴まれ、興奮している様子でとても怖かったそうです。先生は家族と一緒に旅行していましたが、家族は前方を歩き、少し離れていました。なぜ興奮して捕まられたのか訳が分からず、笛で家族を呼んだそうです。

 外国から訪れた観光客がなぜ突然、興奮したのか不明ですが、近くを歩く日本人に話しかけても無視されたと勘違いして興奮したようです。思いもかけない恐怖です。外見からはわかりませんが、聴覚を失った人間に話しかけても気づきません。これが、聴覚を失う障がいを持って生活する難しさと怖さなのか。

「何も知らなかったんだなあ」と痛感することが続きます。手話講座では「耳の聞こえない人の”生活と社会”・過去と現在そして未来〜」と題したお話を聞く貴重な機会を得ました。講師は聴覚障害者の支援団体などで活躍されており、1歳の時に高熱を出し、治療の際に注射された解熱剤の副作用の影響などで聴覚を失ったそうです。

免許取得やローンなどが禁止の時も

 「聞こえないから無視して良い。関わらないように」。小学1年時、クラス担当の先生が他の生徒に対してこう話したそうです。母親は激怒して抗議しましたが、最終的には転校を余儀なくされました。なによりも辛かったのは、健聴者の両親ら家族とテレビの内容などについて楽しく会話できなかったことをお話しした時でした。家族と一緒に笑えない。言葉を失います。

 法律面の差別も全く知りませんでした。運転免許証は道交法88条で取得できず、民法11条では準禁治産者と定められ、住宅ローンや相続などができない。旧優生保護法などを理由に男性が不妊治療された例もあります。日本政府や国会の対応の遅さに驚きました。免許取得など聴覚障害者を特定した法律上の欠格条項が撤廃されたのは2001年7月。耳が聞こえない人すべてに免許取得を認めたのは2008年。つい最近です。

 耳が聞こえない世界を知らなかった。手話を学び始めて、ようやく知った事実です。なによりも自分自身の不明を恥じるのは、耳が聞こえない世界について、耳を傾ける努力を忘れていたことでした。

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