北海道・ふるさとを創る6「音威子府そば」が消える、好物が消える怖さが教えるもの
北海道の「音威子府そば」が消えるかもしれません。北海道新聞によると、音威子府村でそばを生産している畠山製麺の畠山捷一社長が2022年8月末で廃業する考えを明らかにしたそうです。製麺は畠山社長一人で手掛けており、77歳になるのを機会に決めたそうです。
製麺会社が8月に廃業
音威子府そばを知ったのは4、5年前です。もう10年以上も毎冬、北海道の名寄市にあるピヤシリスキー場へ通っていますが、いつも一緒に滑り、その後お酒を楽しむ友人が「このそばをぜひ食べてみてください。この味は他では体感できませんから」と教えてくれたのです。翌日、名寄市で売っているお店を案内されたのですが、確かお肉屋さん。同じ棚で音威子府そばが並んでいました。「北海道らしいなあ」と納得したのを覚えています。見た目は黒と灰色の中間ぐらい。早速、ビニール袋に包まれた蕎麦を購入しました。
北海道は日本のそばの4割を生産しており、道内でも幌加内、深川、音威子府の3地域が上位を占めています。音威子府は北海道でも豪雪地帯で知られています。寒暖差が激しい畑で栽培されるので、とてもおいしいはず。「音威子府そば」を食べる前から唾液が込み上がてきます。色が黒い理由は、そばの実の殻を挽いて残りしているからで、「挽きぐるみ」と呼ぶそうです。そば殻を残してそばに仕上げる方法は、島根県の出雲そばで味わったことがあります。出雲大社近くの有名なお店に入ったのですが、そば殻が適度な感触を生みコシも加わり、今でも「うまかった」と舌が覚えています。
香りとコシが強く、太くて四角い麺
音威子府そばは出雲そばを上回る存在感を生み出していました。そばの香りやコシも強く、太くて断面は正方形のようです。そばを食べるというよりは噛むといえば良い感じ。ちょっと大げさかな。江戸前のそばをすする感触とは異なります。「これ、好きだな」と歯と舌と胃袋が答えてくれました。2022年1月に音威子府村に行った時も宿泊先で音威子府そばと鳥の唐揚げ「ザンギ」でビールと日本酒を飲み、「音威子府に来たあ」と一人で盛り上がっていました。
JR音威子府駅前のスーパーで売っていないかと探したら、多くの商品に紛れ込むように陳列されていました。意外でした。「せっかくの名物なのに」と思ったのですが、地元の人にとってはあって当たり前。旅の人の勝手な思い入れに過ぎません。
音威子府そばは鉄道ファンの間ではとても有名だったそうです。JR音威子府駅舎にある「常盤軒」は全国でも名物そば店として人気を集めていました。ご主人がお亡くなりになり2021年2月に閉店しています。
そして音威子府そばも姿を消すかもしれません。北海道新聞によると、「畠山製麺の3代目社長である畠山捷一さんは『味が変わって評判を下げたくない』と第三者に引き継ぐつもりはない。畠山社長は『苦渋の決断』と明かす」と伝えています。ただ、佐近勝村長は「黒いそばは村の特産であり、ふるさとの味。地域への影響は甚大だ。(廃業後に)復活させることができないか考えていきたい」と話しているそうですから、まだ存続の希望はあるのかもしれません。
音威子府村は北海道で最も小さい村です。人口は2022年6月末現在で663人、466世帯です。人口減が日本でも最速で進行する北海道の窮状を端的に示す自治体です。こちらの村については以前にも書きました。ニセコや富良野など世界に誇る観光リゾートとは全くふるさとの風景があります。
ふるさとの味が地方の衰退と重なっていく
人口減は全国の地方で進んでいますから、その深刻さがあまり伝わっていないのではないかと危惧しています。政府が「ふるさと創生」「地方創生」を看板政策に掲げていますが、地方に活力が戻ったのでしょうか。お金をばら撒いても、地域は再生しません。
「音威子府そばが消える」という事実はなにを教えてくれるのでしょうか。好きな食事が2度と食べられなくなる。母親の味付け、料理を思い出しても食べられない悲しさと同じです。全国各地で「音威子府そば」と同じように消えている食事が多いはずです。人口減、後継者難などが地方の体力を奪い、集落、地方そのものの存続を危うくしています。インターネットで全国の美味しいものを手に入れ、食べられる時代と謳われながら、実は地方の味や食材が消えていきます。「音威子府そばの廃業」のニュースから育った日本が消えていく怖さを改めて覚えました。
JR音威子府駅に貼られていた観光ポスター「道北 暮らし旅」プロジェクトの理念が心に響きます。
暮らしを変えない観光に来て欲しい。活気あれば、と思う。訪れるひとは少ない。都会でも観光地でもない。でも、ここには暮らしがある。木々が茂る深い森。雪深く凍てつく冬。イトウが泳ぐ湖。羊が駆ける大地。カヌー、釣り、サイクリング、森歩き、スノーシュー。良質な地場の食材。厳かで静かな時間。自然と共存する喜び。観光のために、暮らしを変えない。道北の魅力は、暮らしのなかにある。