若冲、蕭白、芦雪、狙仙、プライスさんは自分の審美眼に従い、無限の価値を見つけ出す
いつも、にこやかに微笑んでいるプライスさんの眼光が変わる一瞬を目にしたことがあります。鷹か鷲が獲物を狙う瞬間の輝きを放ちます。普段は見せない美術収集家の魂を垣間見た思いでした。
いつもの笑みが消え、鷲の眼光に変わる一瞬
ジョー・プライスさん。伊藤若冲ら江戸絵画の収集家として知られ、東日本大震災で被災した宮城、岩手、福島3県で2013年に自らのコレクションによる展覧会「若冲が来てくれました」を開きました。夫人の悦子さんと共に東北のみなさんを励ましたいと考えて開催したのですが、お二人のご好意でDVDコレクションを制作することになり、プロデューサー役を務めることになった私は、撮影などでご一緒する機会を得ました。
鋭い眼光を目にしたのは、辻惟雄さんと対談した時です。辻さんは「奇想の系譜」などで日本国内でほとんど忘れられていた伊藤若冲ら江戸絵画に脚光を当て、若冲ブームの火付け役となった美術研究家です。
若冲を追い求め続ける
辻さんはプライスさんと改めて若冲の素晴らしさを語る途中、「実は、まだ未発表の若冲があるんです」と切り出しました。ある資産家が若冲が描いたとされる十二神将図を持っているが、相続などの諸問題で公表できないでいる。現物は見ていないので、なんとも言えないが、もし十二神将図なら大発見になる。
プライスさんは無言のまま聞き流した風でしたが、自ら目にして確信したらかならず購入する強い気持ちを抱いるのが端から見ていてもわかりました。
ランチは社食でOK
ジョー・プライスさんは、父親が経営する石油パイプライン会社が生み出す富を背に伊藤若冲、曾我蕭白、長澤芦雪らの作品を収集した世界的な美術コレクターとして知られていました。しかし、「お金持ち」のオーラは全く発しません。普段着はいつもカジュアル。街ですれ違っても、気づかないでしょう。社内の打ち合わせで昼食の時間を迎えた時も、社員食堂で数百円の「酢豚定食」を楽しんでいました。
ある富裕層を対象にした雑誌の取材を終えた時も苦笑する場面がありました。記者の質問に笑顔で答え、取材を終えた記者が部屋を出た後、「お金持ちは、雑誌に書かれているような生活はしないよ」とご夫婦でポツリと話していました。
自身が信じることに惜しまずお金を費やすが、外見や他人の評価など全く気にしない。「鳥獣花木図屏風」が好例です。タイルのように無数の枡目を使って象や樹々を描いた作品はかなりの異作です。若冲が本当に書いたのかどうかの真贋論争も巻き起こりましたが、プライスご夫婦は全く動じません。
収集した若冲らの作品は、どんどん公開します。東北三県で開催した「若冲が来てくれました」はその一例に過ぎません。DVDの制作に応じてくれたのも、自身が収集した若冲、曾我蕭白、長沢芦雪、森狙仙らが放つ美の感動を多くに知って欲しいという思いだけです。ある有名なお寺の場合、この仏像を撮影したら数十万円といった要求を受けましたが、プライスさんはそんな要請は全くありません。被災した県などに寄付して欲しいという希望だけでした。
収集作品に何度も感動する姿に感動
完成したDVDは、発売前にご夫婦に鑑賞していただきました。液晶テレビとソファだけのガランとした部屋で数時間に渡ってじっとご覧になり、終始笑みを絶やしません。自分自身のコレクションはもう数え切れないほど鑑賞しているのですが、何度見ても「素晴らしいものは、新たな感動を得られる」と、その笑みは語っていました。
プライスさんの姿から日本画はじめ美術との向き合い方を教えていただきました。素晴らしい作品はずっ〜と見ていられることです。何度も感動を確認し、その感動が新たな発見を知る機会になる。そして再び見る。その繰り返しだ、と。
多くの教えに心から感謝します
2019年、プライスさんはあれだけ愛したコレクションの一部を出光美術館に手放しました。ご高齢だったので、その継承を考えた結果だと推察していました。それから4年後、2023年4月13日にお亡くなりました。93歳。多くのことを教えていただき、心から感謝しています。ご冥福をお祈りします。