65歳から始めたメディアサイト😅②米メディアと一緒に仕事した経験が糧に

  自分自身のメディアサイトを作ろうか。

 漠然と考えていた夢想を現実にしようと決めたのは10年ぐらい前です。記者や編集者の立場を離れ、営業にも携わる役職に就いたころでした。それなりの役職ですから周囲から大事にしてもらえるのですが、そんなことに喜んでいたら絵に描いたような愚かな上司と周りから嘲笑されてしまいます。

記者・編集を離れ、営業も経験

 30年以上も記者稼業を楽しんできました。新聞記者は取材でお金を使いますが、読者が集まるニュースや囲み記事を書いて読者の信頼を広げ、結果的に媒体の価値を高め、会社に貢献する構図で生きています。新聞編集を支えてきた営業・総務などの部門に恩返しする思いもあって、営業の世界も知るのも良い経験と割り切ったつもりでした。ところが慣れない世界はなかなか辛い。

 当たり前でした。営業部門は広告やイベントなどを通じて実際に「お金」を稼がなくてはいけません。新聞編集に携わって30年間、取材先が「事業にどうお金を使うか」を追いかけ、特ダネをものしてきましたが、特ダネのために頭を下げたことはありません。ましてこれまで取材先だった相手に営業の一環とはいえ頭を下げるのは思いのほかストレスになります。もっとアタマを下げなきゃと頭では理解しているのですが、わずか10度も下げることもできません。

 傍目からみれば、昭和・平成時代の新聞記者は浮世離れしていた商売と勘違いされても不思議ではありません。夜討ち朝駆けの毎日を暮らし、たまに会社に顔を出すと社内の喫茶店で取材先とコーヒーを飲んでいる。こんあ風景を営業や新聞製作の社員からみると、お昼から遊んでいると誤解されるらしいのですが、特ダネや深掘りした記事を書くために必須な人間関係を構築する一環です。

 「新聞記者だあ!」といって取材できるのは最初の1回目だけ。いくら会社の看板を持ち出しても、通用するのは1回か2回ぐらい。互いに信頼する足場が無いまま取材しても、企業や製品の広告代わりに記事を書かされたり、程よく遇らわれるだけです。ちなみに今は夜回りで取材先の自宅近くで記者が立って待っていると、「不審者だ」とすぐに通報されてパトカーが来るそうです。

 編集部門を離れ、新聞やテレビのニュースなどを見ていると、記者の世界に戻りたいというセンチメンタルな気持ちよりも「自分だったら、こう書くなあ」という気持ちが募ってきます。大きな企業ニュースなどがあると「やっぱりこの事実を押さえて、この見出しが躍らないとだめ」といつのまにか編集者の視線になってしまいます。

 もっと自由に書くには自身のサイトを持つしかないなあという覚悟も固まってきました。記者の時から「社論」といった会社の方針に全く縛られていなかった方ですが、中途退社して新聞を創設したり、あるいは雑誌に転身した会社の先輩・後輩の苦闘ぶりを見ています。新聞社を経営するのは大小の規模にかかわらず、大変なことだと身を以て知っていますし、雑誌社へ転身した場合は今度はその会社の論調・方針に縛られます。

 40年近く勤めた会社でメディアのイロハは教わりました。不安があった営業部門は幸か不幸かわずかですが経験していました。「あなたには営業できませんよ」と営業畑の人間から笑い飛ばされましたが、メディアのお金がどう流れるのかも垣間見ることができました。

 さらに背中を押したのがグループ会社で経営全体を見渡せる立場になったことです。グループ全体で電子版の成功に向けて試行錯誤を繰り返していた時期と重なります。新聞、テレビにインターネットを介してテキストや映像を加えて、3次元的なメディアに転身するためには、どのような人材、発想、技術が必要かを知ることができました。もちろん、ネット広告の現状も目の当たりにします。

米メディアとの仕事を通じてネットサイトのイロハを知る

 もっと幸運だったのは、米国のメディア会社と一緒に仕事できる機会を得たことでした。米国の巨大メディアと合弁で毎日ライブで経済情報を放送するテレビ会社の経営に携わりました。小さな会社ですが、視聴者がスマートフォンを使ってテキストや動画で情報を得る動きが顕著になった時期です。ネットメディア事業を立ち上げる経験ができました。

 デジタル技術を使って情報を発信する体制をどう整備するのか、どのようなサイトが求められるのか。ニューヨーク近郊にある米国メディアの巨大なスタジオを訪れて最先端のテレビ番組の制作現場を見て回りました。世界各地にあるスタジオを結び、24時間の放送・発信できる体制を築く一方、いかに少人数でコンテンツを制作し、コストを抑えるかに知恵を絞っていました。少数精鋭といえるかどうかはともかく、少人数で一定の水準を維持する努力とノウハウはとても参考になりました。

取材、制作面で経営効率を徹底する姿勢に多くを学ぶ

 さすが米国のメディアです。絶対に利益を捻り出すために過去の常識に囚われずに経営効率を徹底的に追求します。日本でもネットメディアが当たり前のように雨後の筍のように誕生していました。ちょうどサイバーエージェントがABEMAテレビを設立し、スタートしていました。しかし、毎年数百億の赤字を流しながら、ネットテレビを構築しようというサイバーエージェントの執念には頭が下がりますが、赤字の垂れ流しを続けるネットメディアは本物とは思えませんでした。

 あと数年で40年間勤めていた会社を離れることができる。これまでの経験を活かして、わずかな資金でも立ち上げできるネットメディアを模索したいという気持ちが固まりました。今からなら助走期間にちょうど良い。ところが、思わぬ難敵が待ち構えていました。年相応の大病でした。

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