心と心をどう通わせるのか

向田邦子さんの問いかけ 視聴者・読者との緊張感にメディアは耐えられるのか

向田邦子さんがお亡くなりになって40年が過ぎました。脚本家・作家として飛ぶ鳥を落とす勢いの人気と評価を集めているなか、1981年8月22日台湾旅行で搭乗した飛行機事故に遭いました。あの時の衝撃を覚えている人は多いでしょう。没後40年に当たり改めて小説やエッセーなどの作品に注目を集め、売れているそうです。向田邦子さんが活躍していた当時、20歳代を迎えていた私には向田さんが問い掛けるテーマが重く、素直に受け止めきれないテレビドラマがあったのは事実です。数十年の年月が過ぎた今、向田さんの脚本によるテレビドラマと相対すると、新聞・テレビのメディア制作に携わる人間に対しもっと異なる問い掛けがあることに気付きました。

説明する必要もないと思いますが、向田さんは脚本家として1970年代に「寺内貫太郎一家」や「 阿修羅あしゅらのごとく」など数多くのテレビドラマを手がけ、「父の詫び状」などのエッセーや小説でも評価を高め、亡くなる前年の80年に直木賞を受賞しています。脚本やエッセーに魅せられたのは当然ですが、印象深いのはラブレターや日記を軸にしたもう一つの向田邦子さんの素顔でした。NHKが制作した「没後20年 向田邦子が秘めたもの」という番組で、ちょうど20年ほど前のドキュメンタリーです。好きな人に送り届ける美しい文章がとても艶やかで、恋人に撮影された自然な表情を見て、仕事の顔との違いに改めて驚いたものです。この素敵な表情を持つ人があれだけの人間の奥底を描く眼力を持っているのですから、まさに阿修羅のごとく人間を描くことに闘っていたのでしょう。

本人を取材した経験はありませんが、向田さんの作品に流れる空気を感じたことがあります。石川県の能登島です。新聞社に入社して3年目、石川県金沢市の支局に転勤しました。能登島は能登半島を富山湾に向かって左手で何かをつかもうとしているシルエットに例えればちょうど手の内側の隙間にあります。半島側とつながる能登島大橋が完成した時期と重なり、今の言葉で言えば地方創生の一環として誘致されたガラス工房の取材などでよく通いました。

七尾湾に面した道路を車で走っていると「向田」という道路標識をよく目にします。どこかで見かけた字面だなと思って地元の人に聞いたら、向田邦子さんのお父さんの出生地なんだそうです。地元では「向田(こうだ)」と呼びます。全国的には読みにくいので「むこうだ」と読みかえたと解説する人がいましたが、正しいかどうかわかりません。それはともかく、向田邦子さんが急に身近に感じられました。ドラマやエッセーに登場するお父さんは一見頑固そうに見えますが家の外では相手の胸の内を過剰なほどきめ細かく察する優しさを併せ持ちます。しかし、家族にはぶっきら棒を通し、家長としての権威を誇ります。まるで自分の父親そのものでしたが、能登ならではの保守的な土壌に慣れるまで取材に閉口した経験を繰り返していただけに向田さんが描く父親や家族像などがストンと腹に落ちたのでした。

数多いテレビドラマの中で忘れられないのは「阿修羅のごとく」です。1979年の放送当時に視聴していましたが、主演の八千草薫さんがお亡くなりになった年の翌年2020年にケーブルテレビで再放送され、何度目かのTV視聴となりました。詳細な内容はご存知の方が多いので触れませんが、四姉妹の長女である八千草薫さん役の女性はじめ父親、母親、妹3人、そして夫や妹の恋人らが繰り広げるやり取りには魅了されます。言葉の選び方が深く、ひとつ一つがしっかりと一人立ちしてる強さを感じます。言葉のやり取りに緊張感があり、視聴している側にもそれなりの覚悟を持ってテレビと向かい合うよう求めているかのようでした。ちなみに、ほとんどセリフがなく演技力だけで多くを語る佐分利信さんの素晴らしさに感動しました。

40年前以上に視聴した当時、「ここまで頑張ってテレビを見なきゃいけないの?」と感じた凄みを改めて確認する一方、その後40年過ぎた自らの人生のさまざまな風景を走馬灯のように突きつけられているかのようでした。なによりも「痛い」と感じたのは、選んだ言葉の強さとともに視聴者の懐へどんどんと入り込んでくる脚本の進め方であり、演出でした。たとえていえば、俳優がすぐ目の前の舞台に立って「あなたは自分の人生と照らし合わせてどう思うの?、対岸の風景のように見ていない。あなたも同じ風景を演じていたはず。この番組を自分なりの覚悟を持って視聴していますか」と問い掛けられているようです。向田さんが出演した3人による対談番組も拝見したことがあります。向田さんの話し方はとても明晰で飾らずにズバリ本質に迫るタイプでした。変化球を多用しながら勝負時は豪速球を投げつける凄みを感じます。

言い換えれば、メディアと視聴者・読者との距離感を常に問いかけていたように思います。「阿修羅のごとく」は今の言葉を使えば「ソーシャルディスタンス」が近い!近い!。近過ぎるとなるかもしれません。他人が居間に土足で上がり込んでくる遠慮の無さです。

 現在に目を移すと、距離感はどんどん遠のいているというイメージでしょうか。ソーシャルディスタンスはテレビ・新聞も視聴者もお互いに傷つかない間合いに設定されている印象です。セクハラ、パワハラなどハラスメント、人種・性別の表現など40年前と比べて大きく時代背景は変わっているので、ひとつ一つの表現に対する気遣いは変わっていますが言葉だけの問題ではありません。むしろ、表現する側とそれを視聴・読む側、お互い傷つけ合わない距離間を認め合い、逸脱することを過剰に神経を使っているように思えます。

テレビの草創期を知る黒柳徹子さんが演じるコントを思い出します。テレビを見ながら、ふと思い付いたことを秘書に手紙やはがきを送るように命じるものです。黒柳さん扮する女性は他のことをしながら、秘書に「あっ、これは投書して」「これも投書して」を繰り返し言い続けてコントが終わります。投書が1通ずつ送られた時代は終わり、集中砲火のようにメールが届いて「炎上」するネット時代になりました。気に食わない考え、無遠慮に土足で上がることは許さない場合、互いの距離感を冷静に確認しながら議論する術を失っているかのようです。

その間合いの難しさが視聴者や読者との距離を必要以上に広げてしまい、目の前に突き付けるかのような緊張感を迫る番組や記事が減ってしまっています。読んで気持ちの良い記事や情報が主力になります。誤解しないでください。辛いことを増やせといていることではありません。世の中、良いことも辛いこともあるのです。そして思いもしないことでネット炎上してしまうと、何をどう伝えれば良いのかがさらにわからなくなってしまう。ドラマに登場する人物のキャラクターもわかりやすく一面的に設定される場合が多いようです。主役はきっと「いい奴」です。これがマスメディアの現況と思えてなりません。

「軽重長短善悪是非等は相対したる考より生じたるものなり、軽あらざれば重ある可からず」。福澤諭吉が書いた「文明論之概略」の冒頭です。300年に及ぶ鎖国から開国した日本の人々に対し古今東西、西洋、東洋の文明を例に上げながら欧米アジアと日本の比較についてわかりやすく説明している著作ですが、絶対的に優れた文明などはなく、常に相手と比較しながら学ぶ点、学ぶ必要のない点など物事を考える重要性を説いています。私たちは戦後75年かけて新聞、テレビを育て民主主義の定着に努めてきました。それなりの文明度はあるはずです。相手との距離間、違いを意識することの重要性は十分に理解しているはずです。

メディアと視聴者・読者に戻すと、現在は互いにキャッチボールする距離感を意識しながら、やり取りする関係、あるいは余裕があるのでしょうか。ボールを投げ合う距離が長い時もあれば短い時もある。カーブを投げる時もあれば、予想以上に速い直球の時もあるでしょう。日本に文明が定着している証としてメディアと視聴者・読者の間にある信頼関係にもう一度自信を確認したいです。

相手の懐に飛び込むような凄みを持ったテレビドラマやドキュメンタリー、報道番組をどう制作していくのか。向田邦子さんのドラマを視聴している時に感じる落ち着かない気分は、直接的に懐に飛び込むかのようなメッセージを出し続けているのかと問われているからなのだと自問せざるを得ません。

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