SNSの最先端「メタバース」、手話で体感できますよ(注;個人の感想です)
手話講座で新しい感覚を覚えました。3次元空間を使った言語とコミュニケーションです。
時間軸は体幹、そこが「現在」です。
まず時間軸の設定です。「現在」は自分の体幹です。身体より前方は「未来」、後方は「過去」。この時間軸を忘れずに人差し指を立てて前へ倒すと「明日」、後ろへ倒すと「昨日」。「今日」は両手のひらを広げたまま伏せて、2度ぐらいお腹のあたりの空間を押し下げるイメージです。「先週」の表現は右手の親指、人差し指、中指を伸ばし、薬指と小指を折り曲げて身体に向けて倒します。未来は前方ですから身体から離すように倒すと「来週」になります。親指など3本を伸ばし、薬指と小指を折り曲げる形は、子供の時にピストルを打つ構えに似ています。これは手話では数字の7を意味しますので、一日が7つ、つまり1週間を表します。今週の表現は「今日」を示す仕草の後に1週間を表現するピストル手形を胸の前でぐるりと一回転させます。
指の動き一つで「未来」、「過去」を表現できます。
言語の時制を指の動きで表すことができます。身体の軸を基準に前方へ倒して未来、そのままの位置を示して現在、後方へ倒して過去。すごいと思いませんか。そのまま立っているだけで過去と現在と未来を相手に示し、目の前に仮想空間を設定してそこで何を「やってきたのか」「やっているのか」「やるのか」を説明できるのです。
口頭で言葉として表現すれば、相手は耳の聴覚を通じて頭の中で言葉を解釈。そして具体的なイメージを空想して理解します。手話も相手が解釈する過程は必要ですが、目の前にした仮想空間の枠内で自分の行動を描き出すのです。口頭で伝えるよりも直接的にイメージを伝えられ、相手も目の前に風景を仮想でき、体感もできるわけです。
仮想空間を体感、思い浮かべます。
時間と空間を目の前で同時に想出して、自分が考えていること、行動したいことを3次元の言語として伝える。最近、仮想空間、3次元など語句を見るようになりましたよね。「メタバース」という言葉を思い浮かべませんか。2021年10月末にフェイスブックは社名をメタに変更しましたが、その理由をCEOのマーク・ザッカーバーグは「メタバースの事業化を本格的に展開するため」と説明しました。
メタバースはSF作家のNeal Stephensonが1992年に発表した「Snow Crash」で創り出した造語で、自分自身の世界(universe)を超越(meta)できる空間を表すそうです。VR(仮想現実)やAR(拡張現実)を使って3次元の仮想空間をインターネット上に創り上げ、利用者は自身の分身であるアバターを操作します。空間内を自由に移動しながら、遊びや仕事などを様々なサービスを体験できます。フェイスブックは文章と写真、動画を使ってコミュニケーションするネットインフラとして定着していますが、基本は縦と横で構成する2次元空間。
メタバースの世界に入るためにはVRゴーグルを使用して、仮想空間内のアバター同士がコミュニケーションすることになります。まだ初心者ですから手話の世界を想像するだけですが、VRゴーグルが必要なくても、現実空間に身を置きながら新しいコミュニケーションの可能性をどんどん広げることができるような気がします。
手話で映し出される表現は、言葉を話して意思や行動を伝えるのが当たり前と思っていた今までの世界と異なる時間と空間を感じます。思い付くイメージは陽電子と電子の世界を描いた物語かな。電子にはプラスとマイナスの電気を持つ2種類あり、常に双子の兄弟のように存在しているのですが、私たちの世界はマイナスの電子で構成されているそうです。しかし、理論上はプラスの電子、陽電子が存在しており、それは反粒子と呼ばれ、そこでの世界は反物質の世界となります。昔読んだ物語ではわかりやすい例えで表せば、鏡に映る私と風景が向こう側に実際にと同じ人物と同じ世界が存在していることを描いていました。手話に同じような存在感を受けます。
カントの「時間」と「空間」がよみがえる
手話が上達すれば「時間」と「空間」を操り人形のように使い、新しい世界を体験できるなんてとても素敵です。実は時間と空間にはこだわるにはわけがあります。大学生の頃、無謀にもカントの「時間」と「空間」に挑んだことがあります。商学部のゼミで学びながら不覚にも卒業論文に「カント」を選んでしまいました。先生はまさに碩学を体現した尊敬する教授でしたので、「やってみたら」の言葉を信じて挑んでみました。今でもよく理解できていませんが、最初にカント哲学を勉強する際に出会う(そしてすぐに挫折するのですが)「純粋理性批判」ではまず考え方のスタートとしして「時間」と「空間」を基軸に選びます。つまり認識するうえで絶対に揺らぎのないスタート台を探し出して自分の周囲で起こっていることを理解し、その認識を積み重ねて考えていこうとするのです。
手話の表現は能の演技のよう
しかし、時間も空間もその存在はわかったつもりでも、時間は時計を見ないとわかりませんし、空間は移動したり掴んだりしないと実感できません。それが手話は身体を軸に未来、現在、過去をひとつの仕草で表現してしまいます。能の演技を見ているようです。能面は顔を上げ下げすることで人間の表情を変わります。その演技力を覚えるまでにはたいへんな練習量を必要とするのでしょうが、手話は人差し指を前へ倒して明日、後ろへ倒して昨日を表現できるのです。これなら私でもできます。
この3次元の仮想空間を指一本でも表現できることがわかりました。ここから先の手話の世界は仮想するだけたいへんそうですが、ハワイの海を遊泳する夢想しながら楽しみます。