タヒチの核実験反対デモ

南太平洋1 仏大統領、核実験被害の補償拡大、タヒチとパリは同じ人間か

 ようやく南太平洋のことを書くキッカケを見つけました。フランスのマクロン大統領が2021年7月27日、仏領ポリネシアのタヒチ島パペーテで「仏が核実験場となったポリネシアにフランス国民は負債がある」と演説し、健康被害などへの責任を認めて核実験による被害補償の受給者拡大を表明しました。また核実験に伴う補償制度を見直して関連公文書を開示する考えも明らかにしたそうです。

1995年、タヒチで核実験再開の反対デモが繰り広げられる

タヒチの風景が走馬灯のように鮮やかによみがえります。「あのフランス政府が仏領ポリネシアの人々に補償するなんて・・・」。率直な感想です。私は1995年、シラク大統領が南太平洋の核実験再開を決断したとの発表を受けて、ムルロア、ファンガタウファ両環礁の核実験場に近いタヒチ島に向かいました。当時、タヒチでは仏領からの独立運動が巻き起こっていました。そこに核実験再開が加わったため、ようやくですが世界経済や世界史から見落とされていた南太平洋に世界の目が集まった時でした。もう26年も前のことです。現地の行政府職員は世界から「ゴーギャンが愛した島、楽園」として知られるタヒチの現実を語ってくれました。彼はフランス系白人でしたが、「世界から?いやいやパリから見ても私たちでさえ全然相手にされていない。人間としても認められていたのかな。まして現地のポリネシア系の人はそれ以下だからね」と吐き捨てました。

タヒチは土地勘が全くないこともあって2回に分けて出張しました。2度目は核実験反対運動で発生した火災で空港が閉鎖。文字通り南太平洋の孤島になってしまい、2回の出張滞在期間は延べ1ヶ月に及びます。核実験施設などは政府・軍のもとで取材する制約があったとはいえ、ムルロア、ファンガタウファの両環礁などの核実験関連施設、日本を含めた世界各国から集まったタヒチでの反対運動、タヒチ島民の生活など多くの取材が続きます。自身の限界を試される経験を何度もしましたが、被爆地ヒロシマや原発立地など日本と同じ問題に直面する南太平洋の苦悩を目撃できました。”26年前のあいまいな記憶を確認しながら”という頼りない内容になりますが、日本ではあまり馴染みのない南太平洋で暮らす人々のことを少しでも身近に感じて欲しいと考え、当時の息遣いをお伝えします。

 ちょっと長くなりますが、フランスの核実験の経緯をおさらいします。フランスは仏領ポリネシアのムルロア、ファンガタウファ両環礁で1966年から96年まで合計193回の核実験を実施しています。大気圏内と地下で200回程度の核実験が行われていますから、核実験で発生する放射性物質などの影響で周辺地域に住む人々、あるいは核実験に携わる作業員への健康被害は必至とみられていましたが、1995年当時の仏政府は安全に管理されており、影響はないという姿勢を貫きながらも96年の核実験を最後に停止しています。

 フランスは2010年に核実験の被曝による健康被害を補償する法律を施行しています。補償の請求は1000件を超えるそうですが、毎日新聞の7月29日付け記事によると、2017年までに被害認定されたポリネシア系住民は11人で、申請した住民の5%にとどまるそうです。マクロン大統領は17年以降187人を追加認定したと強調しながら「十分ではない」として補償の申請期限を延長すると述べたそうです。

 しかし、謝罪はしていません。共同通信の記事によると、フランスが統治していたアルジェリアに続き、ポリネシアで核実験を実施したことについて「遠い太平洋の真ん中で行えば(本土とは)影響が異なると考えたからだ」と説明。「真実を示し、透明性を保ちたい」と訴え、国防に支障のない関連公文書は全て開示するとの考えは明らかにしています。

 ここで見逃したくないのは「遠い太平洋の真ん中」と「本土」の言葉です。タヒチとパリは1万5000キロメートル、東京とは9500キロメートルもの距離です。もし手元に地球儀か世界地図がありましたら、タヒチを探してみてください。広い南太平洋の青い海にある砂粒の島をすぐに発見できますか?ムルロア環礁はタヒチ島の東南1500キロメートルにあります。仏軍のヘリコプターに乗ってムルロア、ファンガタウファ両環礁にそれぞれ飛びましたが、目の前に広がる青い海がいつまでも続き不安を覚えたのものです。アメリカが水爆実験の地としてビキニ環礁を選んだのも同様の理由なのでしょう。「誰もいない海域で」だから。しかし、マーシャル諸島の住民は多大な健康被害を受け、第五福竜丸はじめ多くの漁船が死の灰を浴びました。

 1995年の核実験を説明する際も、フランス政府や軍は環礁内の軍関係者を除けば、住民がいる島々との地理的距離を考慮しており安全性は確保されていると強調します。地下核実験は固い地層を深く掘った地点で爆発するので地層にヒビが入って放射性物質が漏れる可能性はないし、拡散する恐れはないとアピールしますが、この程度の安全性の確保は至極当たり前のレベルです。

 関連施設の監視体制なども見学しました。主要施設はさすが最新の機器が並びますが、一部の機器では最近サビを落としたかのような放射能検知器など、素人目ですが学校の理科室と精度がどの程度違うのかという疑問符が付く機器が目についたものです。なるほどと思ったのは核実験を観察するコンクリートブロックの建物でした。小型ダムのような形状で頑丈という言葉とはこの建物のためにあるのかと思うものでした。

フランス軍人が核実験場の環礁で泳いで安全を示す

 「環礁の自然は放射能で侵されていない。だから住民がいる周辺の島々はさらに安全だ」。この説明は、もう茶番劇を見るようでした。たとえば安全性を確認するためにムルロア環礁の海で泳いでみてくれと言います。世界各国から集まった記者らはさすがに誰も手をあげません。そこで軍幹部は服を脱ぎ、私たちの目の前で環礁内を泳ぎますと言い、飛び込みます。まるでシンクロナイズスイミングのような泳ぎを見せますが、他の軍幹部は泳がず一人しか泳ぎません。周囲の空気は日本語でいうと、みんな引いてしまっています。相手もあらかじめ予想していたのでしょう。それでは次はどうかと、近くのヤシから実をもぎ取ってナイフで割り、流れ出るココナツミルクをゴクゴクと飲み干します。飲みませんかと差し出しますが、誰も飲みません。これで自然環境は守られていると信じるのは無理です。

私が最も驚いたのは環礁内で見かけた海鼠の大きさでした。ファンガタウファ環礁の海鼠はこんなにまで大きくなるのかと信じられないものでした。その海鼠が環礁の浅い浜を埋め尽くしています。まるでSF映画のラストシーンを見ている気分になりました。

仏領ポリネシアの人々が核実験の安全性を信頼できず、数多くの実験に伴う健康被害を求め、核実験に反対するのは当然です。しかも核実験関連施設では作業員としてタヒチ島などから多くの住民が働いており、実態を熟知しています。健康被害などの影響について不安を拭えるわけがありません。

しかし、仏領ポリネシアの声はパリには届きません、というか住民からの声は拡大しません。フランス政府はタヒチなどに多額の経済援助を続けており、観光以外に支える経済が見当たらない仏領ポリネシアの人々が反旗を翻す動きは一定の範囲に止まります。タヒチ島の主要都市パペーテの街並み、ホテルはフランスそのものを感じさせ、南太平洋ならではの美しい自然が生み出すエキゾチックな空気が加わり、さすが世界最高のリゾートです。しかし、観光客として訪れる主要国は遥かかなた。フランスの航空会社、旅行会社の力は欠かせません。

タヒチ独立のリーダーらと共に

タヒチ独立のリーダーらと共に

 タヒチ島で独立運動が盛んなファアアで開かれた集会を訪れた時、近く実施される選挙の勝利に向けて盛り上がっていたました。日本人の記者から見てタヒチの将来について話せと言われたので、「フランス政府の経済援助がなくなった場合に備えて、独自の経済政策は考えているのか」と問いかけたら、集会はシーンと静まり返ってしまったことがあります。

冒頭でも書きましたが、仏領ポリネシアには目に見えないヒエラルキーがありました。頂点に立つのは行政長官のガストン・フロス氏。シラク大統領と親しく、現地の権勢を握っていました。住宅はタヒチ島の高台にあると聞きました。南太平洋の島は高い湿度や蚊など虫を避けるため、山すそなど高地が過ごしやすいのです。ですから島民と話していると「あそこに住んでいるフロスや偉い人たちは」と遠方の山を見ることがたびたびでした。その山の高さに合わせるかのように本国フランス人、フランス本国出身の仏領ポリネシア人、仏領ポリネシア人と階層が形成されています。パペーテの中心部から遠い現地の島民が住む住宅地は観光客が散策する美しい街並みとはほど遠い雰囲気でした。

ゴーギャンは欧州の物質文明から逃れるためにタヒチ島やマルキーズ諸島に移り住みました。現地の実情を知り、横暴な植民地政策が島民を搾取してると批判する手紙を行政官僚に送ったこともあるそうです。私はゴーギャンのタヒチ紀行「ノアノア」を読んだことがあるので、タヒチ島にあるゴーギャンの美術館を訪れました。館内を歩き回るにつれ、予想外の違和感を覚えます。ゴーギャンはタヒチの人たちと本当に親密だったのだろうか?タヒチを描いた有名が絵画のモデルや風景は写真を参考に描いたようですし、住民との交流を示す展示品が少ない気がしました。展示自体がおざなりに感じました。たまたま入館者がいなかったせいでしょうが、1995年当時の島民がゴーギャンに好意を寄せている何かを感じることができませんでした。館を後にして現地の人とゴーギャンの話題に触れても無関心の装う場合が多いと感じました。当然かもしれません。フランスが支配した1842年以来、本国のフランス人とポリネシア人が同列に並んだことがあるわけがありません。180年近い年月で出来上がった距離はパリとタヒチの地理的距離よりも遠いのです。

マクロン大統領が謝罪する気持ちが湧かないのはわかる気がします。ポリネシアの人々を実感できないのです。私たち日本人の多くも同じかもしれませんが。

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