オホーツクのモヨロ人は現代をどう眺めているのだろう(下)私たちが残す遺跡は

 モヨロは漢字で表現すると「最寄」。アイヌ語で「入江の内、場所」という意味だそうですから、発音から編み出した当て字とはいえ、最寄はぴったり。当時の発想力に感動です。

モヨロは入江の意味

 最寄は、オホーツク文化の特徴も表しています。目的地に近い駅を教える場合、「最寄りの駅は・・・」と伝えますが、まさに地図上の位置は日本と大陸、千島列島を結ぶ最寄りの駅。

 だからでしょうか。最も印象を受けたのは、その行動範囲の広さ。遺跡からは多くの人骨、土器、石器、鯨やイルカなどの骨を使った装具が発掘されています。自前で製作する技術を持たない鉄製品や青銅なども残されています。日本各地や大陸から手に入れたわけですから、モヨロの人々が舟や陸地を縦横無尽に動き回り、狩猟や生活をより豊かにしようとしていたのがよくわかります。

 土器や骨などに残された装飾の高度なデザインをみていると、様々な地域から情報を得て、それを刺激に自らの工芸技術を高めていたと推察します。きっと工芸品や毛皮などは金属製品などと交換するため、”輸出”していたのでしょう。海洋民族としてのダイナミックな行動範囲を想像すると、ワクワクします。

ポリネシアと同じ海洋民族、ダイナミックです

 海洋民族といえば、ポリネシア人がすぐに思い浮かびます。マレー半島から離れた祖先は太平洋の島々に移り住み、独特な文化を築き上げました。ポリネシアの人々が島々でポツンと孤立していると思うかもしれません。航空など交通機関や情報通信が発展している現代と比べて、何千キロも離れた島へ向かうのはとても無理と思いますよね。

 それは勘違いです。天文学に長けたポリネシア人は、カヌーを使って漁をするだけでなく島々を巡って交流を深めます。アウトリガーを備えた大型のカヌーは荒波を乗り越え、人も物も文化も伝えます。ニュージーランドで購入した書籍「VAKA」によると、カヌーを使って太平洋に広がる島々との情報交流は、光ファイバーと同じぐらいの威力を備えていたそうです。

 モヨロの人々もポリネシアの人々に負けず劣らぬ行動力を兼ね備えていたはず。しかも、貝塚館に展示されている鯨や魚の骨を見ていると、自分自身の食生活や好みとほぼ同じ。現代と同じぐらいの体力、あるいは上回るエネルギーを持っていたのでしょう。

学説を覆す発見者はアマチュア研究者

 モロヨ貝塚でもう一つ驚いたのが発見者のことです。貝塚は1913年(大正2年)に青森県出身の米村喜男衛さんが発見しました。米村さんは個人で古代研究を続けていたアマチュアです。発見した土器などから縄文時代とは異なる独自の文化が存在したと察し、研究を深めるために網走に理髪店を開き、腰を据えて研究を深めました。貝塚館の入り口そばには金田一京助さんが米村さんの功績を称える石碑がありますが、その直感力と努力には誰もが敬服するしかありません。

 米村さんと同様の例に出会ったことがあります。群馬県の岩宿遺跡を訪ねた時です。この遺跡は1946年に発見された旧石器時代のものですが、発見者は相沢忠洋さん。小さな黒曜石の石器を発見したことがきっかけです。当時、日本には旧石器時代はないとされていたのですが、相沢さんは黒曜石の石器から旧石器時代の存在を信じます。相沢さんは納豆などの行商を続けながら、石器を手に大学の研究者に説明したそうです。桐生市から東京まで自転車を使って通ったといいますから、言葉を失います。そしてついに学説を覆します。

流氷観光船

 モヨロ貝塚館を出て、流氷船が発着する道の駅に向かいました。港の出入り口に巨大なコンクリート製のテトラポッドが多く立ち並んでいました。防波堤の改修工事の一環として消波ブロックとして利用します。網走港は、日本最北の捕鯨基地であり、豊かなオホーツク海での漁業の拠点です。

1300年後、気候変動で海も魚も変わる

 しかし、1300年の歳月が過ぎて北海道の海は、気候変動の影響などで漁獲できる魚種が大きく変わっているそうです。10年前、漁師さんが「これはなんだ」と首を傾げていたブリが今や当たり前に獲れるようになってきました。一方でサンマ、サバ、イカは不漁。モヨロの人々が残した鯨や魚の骨が近い将来、食べられなくなるかもしれません。

 気候変動を招く地球温暖化は、200年前の産業革命が引き金です。豊かな海が様変わりする原因の一つが、現代の人類の進化と文明の結果と考えたら、寂しくなります。

 かつて丸太舟と槍を持って獲物を仕留め、家族で笑いながら食事できたのに・・・。今はエンジンを搭載した大型船で遠く離れた海に向かっても、思ったような漁ができない。しかも、国境というややこしい問題で世界の平和が脅かされています。

1000年後、発見されるのがコンクリートの塊だったら・・・

 私たちが1000年後に残すモノとはは何になるのでしょうか。未来人が偶然にも発見した遺跡を発掘したら、コンクリートの塊が残っていただけ・・・。ちょっとさみしい。

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