南部虎弾さん、笑いは世界を電撃 TokyoShockBoysは地球を回り続ける
今でも鮮明に覚えています。笑って、笑って、笑って・・・お腹が捩れて痛く、目から涙が出るぐらい笑い続けました。
お腹は捩れ、目から涙
「電撃ネットワーク」のパフォーマンスです。1990年代、オーストラリアのシドニー湾にあるオペラハウスで演じられました。1990年に結成された電撃ネットワークは過激なパフォーマンスで人気を集めていましたが、私も結成当初から大好きでした。パフォーマンスの発想、演出がとても斬新で、わざとらしいいやらしさがありません。観客席に座るお客さんになんとか笑ってもらおうと一生懸命に演じる熱意にハマりまっていました。
シドニーのオペラハウスで笑い、笑い、笑い
たまたまオーストラリアに滞在している時にオペラハウスで演じるというので、早速チケット買いました。グループ名は「Tokyo Shock Boys」。電撃ネットワークではありません。「あれっ」と思いましたが、電撃のままでは海外では意味が通じない。世界の多くの人が知ってる「東京」を使い、「ショック・ボーイズ」で電撃の意味を表したのだと勝手に理解していました。
「Tokyo Shock Boys」の名前は大正解。オペラハウスの座席に占めるお客さんの多くはオーストラリア人。日本人の歌手や俳優が海外で舞台に上る例は数多ありますが、客席の多くは観光で訪れる、あるいは現地に住む日本人が占める場合がほとんどです。客席を見る限り、「Tokyo Shock Boys」は海外で十分に実力が知られ、ファン層も広がっている様子です。
パフォーマンスが始まります。日本語と英語が入り混じる解説が時折、加わりますが、観客の目釘付けにするのは体を張った過激な芸。もちろん、体だけじゃなくやり遂げる強い精神力が必要です。当初は、過激な芸に目を奪われますが、失敗を繰り返しながらもなんとか最後までやり遂げる「Tokyo Shock Boys」のプロ意識に感動し、観客席全体が息を呑み、ため息をつきます。成功した際は、もうみんな日本人もオーストラリア人も関係なく大拍手。
TOKYO発の笑いが世界に広がる
なにしろ、演じる芸はわかりやすい。「牛乳を鼻から飲んで目から出す」「缶を頭にくっつける」「ドライアイスと水を飲んで白煙を吐き出す」なんて序の口。毒針を持ったサソリを使って演じる時は、舞台に上がるメンバーも客席も恐々。男性の股間を使って演じる綱引きなどは危険極まりないのですが、男性も女性も大笑い。成功すれば、当然拍手喝采。思わず「すごい」と声が出ました。
まだまだたくさんの芸が演じられましたが、「おならを燃やす」こと。おならが出たり、出なかったり。出てもガスの量が足りず、発火しません。何度も繰り返して「おならがそんなに立て続けに出るものなのか」と生物学的な疑問すら浮かびます。「ボッ〜」と音を立てて燃えた時は、笑いよりもホッとしたものです。
「芸に国境はないのだ」。周りのお客さんの反応は日本人もオーストラリア人も同じ。一つ間違えば、悪趣味に勘違いされ、安いSMショーを見ている気分になります。しかし、そんなことは全くありません。舞台で真剣に取り組む姿にみんな感動しています。文字通り、東京発のショックがオペラハウスのホールを残響しています。
芸に国境はない
こんなに笑ったのはいつ以来だろう。振り返ってみたら、学生時代に新宿・末廣亭で演じた林三平さんを思い出しました。舞台の袖から登場して高座に着くまでに末廣亭は笑いガスに包まれたよう。三平師匠が何を言わずニコッとお愛想を演じるだけ。それでも、お客の笑いは止まりません。三平師匠は、話し出すタイミングを失い、目をわざとキョロキョロしていました。
電撃ネットワークは活躍し続けています。「M1」に代表される現在のお笑いの世界とは違う道を歩んでいたのかもしれませんが、世界にショックを与えた存在感の輝きは失せることがありません。
電撃ネットワークのリーダー、南部虎弾さんが1月20日、お亡くなりになりました。72歳。ここ数年、体調を崩しているニュースを見ていましたから、心配でした。しかし、70歳を超えても、自らの信念と芸風を守る姿にはとても励まされ、勇気づけられました。ありがとうございます。心からご冥福をお祈りました。あのエネルギーと熱い思いは自分の股間に紐でしっかり結びつけておきます。
◼️ 写真はWikipediaから引用しました。