坂本龍一さんを悼む 自身の言葉で辿る音楽の道 自由を楽しみ、世界の平和を奏でる
地球を観る
坂本さんはアフリカに今世紀初頭から何度か出かけている。ルワンダの虐殺や貧困などと環境は無関係ではない、との考えを表明している。
私は3年間のアフリカ特派員の経験から「アフリカでは得られた富をその場で家族や地域の共同体で分け合ってしまうようなところがありました。欧米の人はなんでだと思うかもしれませんが、それがアフリカの価値観というか、ある意味で正しいのではないかと感じました」と話し、感想を求めた。すると坂本さんはこう言った。
「たぶんね、その場で分けちゃうのは狩猟採集系の思考だと思うんです。アジアの種を植えて収穫を待つというのは農耕型ですよね。ヨーロッパはバイキングだから人のものも取って自分のものにしてしまう。そう言ってしまうと、ヨーロッパ人は怒るかもしれませんけど」
私は植民地支配や奴隷貿易の歴史を思いつつ、「負の遺産は今の人までも影響していますね」と水を向けると、
「そうですね、ありますね。資本主義っていうのは結局、イス取りゲームみたいなものでね。誰かが損するんですね。それはアフリカ的でもないし、アジア的でもないですね」
平和を祈る
アメリカの「9・11」同時多発テロが発生した当時、坂本さんはニューヨークにいて、「目撃者」として写真も撮っている。
「創作の姿勢は変わりましたか?」と尋ねると、こう答えた。
「それは変わりましたね。僕は戦後生まれで、いろんなものがアメリカ経由で入ってきて、自分というものを形成している。だから『そういう自分って何なの?』と大きな疑問が自然にわき起こりました」
さらに、私は自身の体験から「イラク開戦の前々日に南アフリカからエジプトのカイロに飛びました。その飛行機には『人間の盾』のTシャツを着た平和活動家の人たちが乗り込んでいて、怒りと無念さが機内に満ちていたのを覚えています。坂本さんはアメリカにいて、イラク戦争へと傾斜していったことをどう感じられたのでしょうか?」と尋ねた。
「イラク開戦の前日に世界中で大規模なデモが起きましたね。あのロンドンでも150万人が集まって、スペインも大きかったですね。ニューヨークでさえ50万人くらいのデモがあり、僕も行きました。9・11とイラクは関係ないでしょ。でもメディアの操作で結び付けられてセットになってしまった。洗脳ですよね。世の中には頭のいい政治学者とか哲学者がたくさんいるでしょうに、あんなインチキで無理な証拠を集めて、ほかの国に攻め入って、抵抗してない人たちを爆撃する。
そういうのが現代にまかり通ることを誰も止められないのはとても不思議でしたね。本来、西洋の社会だったら、学問の一番上に哲学があって、哲学と言論で間違いを正していかなきゃいけないはずなんだけど、無残でした。唯一、国連で闘ったのはフランス外相のドビルパンでしたね。(開戦に前のめりの)アメリカに対し、彼は言論できちっと正しました。(チベット仏教の最高指導者の)ダライ・ラマ14世にはひとこと言ってほしかったけど、言わなかったですね」
毅然とした口調でそう言うと、「9・11」から間もない自身のCD「CHASM」(2004年2月発売)について、「イラク戦争が始まった2003年に作ったので憤りが満ちている」と振り返り、インタビュー当時の新作「out of noise」(2009年3月発売)を「怒りが影をひそめ、もう少し諦念みたいなものになっていますね」と言いつつ、
「でも本当の諦めなら音楽はできません」
と加えたのだった。
(元新聞記者、城島徹)