南太平洋8 ブーゲンビル島 言葉は通じなくても、気心が通じ合えば
ブーゲンビル島は独立運動の影響で治安が安定していませんが、隣接するブカ島は島民が多く、学校など公共施設が建ち並ぶ賑やかな街があります。トラックに乗せてもらい、ブカを歩き回りました。私たちが寝泊りしているアラワとは風景が一変します。パプア・ニューギニアの軍事基地があるので、軍服を着た兵士が買い物を楽しんだり、子供たちがサッカーで遊んだりとどこにでもある風景です。リゾートにあるビーチのようなきれいな海岸が広がっており、お店がたくさん集まっています。目がロックオンした店がありました。ナタ「鉈」を売っていたのです。日本のノコギリほどの大きなナタからキャンプで使うような小物までたくさんの種類を揃えています。ブーゲンビル島のアラワに入った直後、パプア・ニューギニアの記者がナタを使って廃屋周辺をきれいに掃除したり、パンやバナナの実を採っているのを思い出しました。ナタ一本あれば生きていけると痛感しただけに、一本買いたい衝動に駆られました。きれいに仕上げているので、金属の輝きにハンパなく魅了されます。ちょっと大きめのナタ一本が無性に欲しくなりました。しかし、ここで購入しても、「国際線の飛行機には乗れないかも」「普段の生活で使うのか」といった理由が頭を駆け巡り、自分を説得して諦めました。
パプア・ニューギニアの海の美しさ、レニ・リーフェンシタールも愛しました。
ブーゲンビル島を離れる日が訪れました。一連の平和集会やパプア・ニューギニア首相の来島などが無事に終わり、国連抜きのPKOは無事に終了したのです。小さなプロペラ機で離陸して機内の窓から見えたパプア・ニューギニアの海は真っ青でとてもきれいでした。ここで山本五十六連合艦隊司令官は撃墜されたのかとの思いもよぎります。日本人はじめ多くの人が亡くなっている海です。きれいと感傷に浸れません。当時ドイツの映画監督・写真家で有名なレニー・リーフェンシタールは90歳を過ぎてからパプア・ニューギニアの海に潜り、映画を撮影していました。それほど美しい色彩、サンゴ、魚影がある海です。今でもすぐに青い海水から透けてみえる白いサンゴ礁を思い浮かべることができます。
やはりホテルのベッドは気持ちよく眠れます。
ブーゲンビルで蓄積した疲労は予想以上でした。パプア・ニューギニアの首都ポートモレスビーに到着した後、ホテルを探したのですがどこも満室でした。さすがに久しぶりにベットで寝たいと思ったので、あるホテルで交渉したら部屋は数室空いているとの返事でした。マネージャーは苦笑しながら説明します。「二階の部屋だけど、すぐ下のホールで今夜はディスコパーティーが開かれる。とてもじゃないけど、寝られないよ」。ポートモレスビーの夜はかなり危険です。このまま朝を迎えるわけにはいきません。「問題ない」と答えて部屋を確保しました。
夕方からホテルの一階ホールはもうたくさんの人だかりでディスコは大盛り上がりです。外のレストランで食事し、ワイン1本を飲んでホテルの部屋に戻りベッドに横になりました。部屋は一階のステージ上になるのかと思えるほど音楽が駆け巡っていました。ディスコソングのビートが腹に響いたのは一瞬だけ、すぐに消え去りした。朝までぐっすり休むことができました。「やっぱりベッドで寝るのが一番だ」。