南太平洋 5 ブーゲンビル島でSDGsを体感する 国連抜きの初のPKOを見る
ただ、思わぬ難点がありました。それは英語でした。パプア・ニューギニアは公用語の一つに英語が入っているのですが、島民が英語で話したとしても現地アクセントが入ったピジン・イングリッシュと呼ばれるものです。「なんとなくわかるのだけど、よくわからない」のです。このままでは取材にならないので、急遽ピジン・イングリッシュを理解できて、かつ普通の英語を話せる島民を探し出します。
海外から集まった記者や関係団体の人間はパプア・ニューギニアは英語圏と思い込んでいましたから、実際の討議集会が始まった時は結構、慌てました。「聞いている英語が分からない」という空気が充満します。ある程度、議論が進んだ時点で英語に翻訳できる島民を取り囲み、「討議していた内容は何か、答えは?」との繰り返します。そばにいた米国タイムの記者がぼやいていました。「英語圏の取材に来て、英語の通訳を介して理解するなんて初めてだ」と情けない顔をしていました。
英語圏での取材でただでさえ一杯いっぱいな私でしたが、呑気にも能登半島の火力発電所で持ち上がった建設取材の時を思い出していました。石川県庁で建設計画の説明会があったのですが、反対派の人たちは県の役人らに猛烈に食ってかかります。もちろん日本語ですが、能登弁です。
取り込む各社の記者は能登弁に慣れているとはいえ、話し手は興奮しているので濃厚な能登弁です。唾と言葉が右と左に飛び交うのが見えるだけです。頼みにしたのは読売新聞の北陸出身の記者。彼に”翻訳”してもらい、他の新聞社は明日の新聞記事をなんとか書けたのでした。
ですから、英語も得意じゃない自分がこんなに日本から離れた国で取材しているのに英米の記者が英語がわからないと慌てている姿を目の当たりにすると、「金沢支局時代の経験がここでいきるとは思わなかった」と苦笑いするしかなかったです。まあ、ニューヨーク、ロンドン、東京に比べればブーゲンビル島は遥か遠い土地ですからね。
首相も参加する集会に突然、独立運動の幹部も現れる
集会が緊張に包まれたのは確か3日目でした。革命軍の前線部隊を率いる人物が突然、姿を現したのです。首や腕などに撃たれた傷跡が残っています。するどい目つき、素早い身のこなし、全てが兵士のオーラを発ししていました。彼が参加するかどうかで今回のPKOによる討議集会が本当の平和討議になるかどうかと思われたいたからです。最終日にはパプア・ニューギニアのジャリアス・チャン首相が参加して政府の本気度を示します。
それでは革命軍はというと、総司令官ともいえるフランシス・オナ氏は参加しないとわかっていました。革命軍を代表する人物は誰なのか、そして姿を現わすのかが注目されていたのです。革命軍の本拠地からアラワまでの行程は熱帯樹林を抜けるため、普通の人なら3日ほど必要と言われていました。彼はあまり発言しませんでしたが姿を現したことでPKOを認める考えを示したのです。
◆見出しにつけたSDGsになかなか辿り着けません。だいぶ長くなりましたので、次回に続けます。島内で暮らした一週間の生活などについて触れます。