• ZERO management
  • カーボンニュートラルをZEROから考えます。

キヤノン、電子を完全子会社、御手洗・酒巻の相剋「我こそキヤノン」に終止符

 キヤノンがキヤノン電子を完全子会社にします。これまで55%を出資していましたが、671億円でTOB(株式公開買い付け)を仕掛け、全株式の取得します。企業統治の観点から問題がある親子上場を解消するとともに、キヤノン電子が手がける人工衛星など宇宙関連事業に資金を投入し、新たな成長分野を拡大するのが狙いだそうです

御手洗氏は30年間、酒巻氏は22年間

 ここは額面通りに受け止めるべきでしょうが、長年キヤノンを眺めてきた人間から見れば、全く異なる風景が映ります。目の前には2人の経営者。互いに睨み合っています。御手洗冨士夫と酒巻久。「我こそキヤノンの継承者」。ともに自負し、競い合い、時には奮闘もありました。

 親会社キヤノンに子会社キヤノン電子が競い合うなんておかしい! 奇妙な話ですが、キヤノンではもう30年間も続いていました。それがキヤノンの近未来をどう設計するのかを問い続けけてきたのも事実です。しかし、完全子会社化でついに終止符が打たれます。果たして、キヤノンにとって吉と出るのか、凶と出るのか。

 なぜ御手洗、酒巻の両氏がキヤノン継承を争っていたのか。簡単に説明したいと思いますが、時計の針をかなり巻き戻さざるを得ません。

 まず御手洗冨士夫氏。キヤノン創業家出身で、1995年に社長に就任して以来、経営の実権を30年間握り続けています。90歳の現在もキヤノンの会長兼社長兼CEOを務める最高実力者です。

 もっとも、若い頃から将来の社長職を期待されていたわけではありません。米国駐在が長く、社長就任の目はないとみられていました。ところが、従兄弟の御手洗肇社長が急逝。社長の椅子が回ってきました。その後、会長に就任するなど2度も社長交代しましたが、結局は3度目の社長に。キヤノンのような大企業で社長が3度も復帰するのは異例です。

新規事業を創出できず

 それでは社長としての通信簿はどうか。この30年間、カメラ、複写機など精密機器メーカーとして世界企業となりましたが、キヤノン生え抜きの賀来龍三郎、山路敬三両氏らが技術開発した画期的な製品に助けられ、自らは次世代を牽引する新事業を創出できないでいます。高収益企業として評価も「選択と集中」を軸にした財務政策の結果で、業績は主力のデジタルカメラの好不調、複写機・プリンターの競争激化などで上下に振れます。新たな柱として東芝から買収したメディカル事業も活かしきれません。

 現在は成長が続く半導体向け露光装置や復活したカメラに支えられ、収益率は回復しましたが、機関投資家を中心に経営手腕が問われ、定時株主総会で取締役再任を拒否される寸前の窮地に立ちました。かつての輝きをすっかり失っています。「make it possible with canon」を謳いますが、なかなかユニークな新規事業を創案できないのが今のキヤノンです。

 御手洗氏は残念ながら、創業家の威光を盾に社長職を手放さない経営者の1人との評価が広がっています。

 それでは酒巻氏は御手洗氏にとってどんな存在だったのか。酒巻氏は1967年にキヤノンに入社。賀来龍三郎、山路敬三両氏が敷いた技術開発に果敢に挑戦する経営に倣い、ゼロックスが独占していた複写機への進出をはじめインクジェットプリンター、レーザービームプリンターなどの新製品開発に携わり、キヤノンの技術集団をリードしました。会社にとって貴重な財産でしたが、目の上の瘤と映っていた賀来龍三郎、山路敬三両氏と二重写しに見えていたのでしょう。

キヤノン電子は左遷人事

 キヤノン電子社長に就任する経緯がすべてを物語っています。酒巻氏は1999年、常務生産本部長から子会社のキヤノン電子社長の辞令を受けます。当時は多額の借金や不良資産を抱えた事実上の赤字会社。誰もが左遷と受け止めました。御手洗氏は忌み嫌っていた賀来龍三郎、山路敬三の系譜に繋がる酒巻氏を視界に入れておきたくなかったようです。

 ところが、酒巻社長はキヤノン電子を見事に再建します。キヤノンの本来の強さは現場主義と信じていました。売上高の半分はキヤノン向けですが、経営目標は「キヤノンに頼らない経営」。経営再建は「会社のアカスリ」と呼ぶ徹底した無駄の削減を続け、その代わりに「ダメと思ったアイデアを実践する」を勧め、社員のやる気を尊重します。仕事の効率を高めるとの理由からオフィスから椅子を取り払い、立ちながら仕事するスタイルも実践しました。もちろん、社長も椅子なし。わかりやすい言葉を使って実践し、社員と社長の信頼関係を築きます。赤字会社は、営業利益率10%の優良企業に生まれ変わりました。

 すべては、御手洗氏に対する意趣返し。創業家の威光を盾に上意下達を旨とする御手洗キヤノンでは、新しい未来は築けないと告げているのです。

 もっとも、キヤノンを意識するあまりか、酒巻社長は、御手洗キヤノンと同様、社長の椅子に座り続けます。1999年から2021年までの22年間も社長を務め、その後も代表取締役会長に。子会社とはいえ、22年間も社長の座にすわり続けるのは異例です。親会社の悪習が子会社に伝染。これもキヤノンの伝統なのでしょうか。

酒巻氏の退任から1年後

 だからなのか、終止符を打つタイミングも美しくはありません。キヤノン電子は2025年1月、酒巻氏が会長から退任すると発表しました。そして酒巻氏の会長退任から1年後、2026年1月にキヤノン電子は完全子会社になり、株式上場を廃止します。酒巻氏の姿が消えたら、キヤノン電子も消える運命だったのでしょうか。

 酒巻氏は今、85歳。御手洗氏は90歳。確かに終止符が打たれましたが、御手洗氏は依然、会長兼社長兼CEO。キヤノンはどうなるのでしょうか。

関連記事一覧