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不正認証が教える「家電の道を歩み始めた自動車」おごり、自己陶酔、挑戦を忘れる

 トヨタ自動車、ホンダ、マツダなど自動車メーカーによる認証制度の不祥事を眺めていると、ふと既視感を覚えました。「多少の手違いはあったが、我々の実力は世界から高い評価を得ている。大きく変わる必要はない」。そんな奢った胸の内を覗いた不快感がありました。同じ風景をどっかで見た記憶がある。同じ風景というよりは、空気感と表現した方が正確かもしれません。思い出しました。1990年代のエレクトロニクス産業でした。

1990年代の空気感と同じ

 1980年代、日本のエレクトロニクス産業はテレビ、オーディオ、白物など総合家電を軸に世界市場を席巻しました。ソニーはテレビのブラウン管「トリニトロン」で他を寄せ付けない技術力を見せつけ、携帯音楽再生機「ウオークマン」で新たな市場を創造し、独走します。1989年にはソニーは米映画会社コロンビアを買収し、エンターテイメントに新たな成長の布石を打ちます。

 ソニーと並走する松下電器産業も負けていません。翌年の1990年にMCAを61億ドルで買収します。買収金額は当時の日本企業で過去最高を記録しました。家電だけではありません。東芝やNECなど半導体メーカーはDERAM市場のシェアで過半を握り、世界一の座に上り詰めていました。

 日本がバブル経済に突入した時期と重なり、円高に猛烈な株高で膨れ上がったジャパンマネーは「日本は米国すべてを買収できる」というおごりも生みます。だれもが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を真実と思い込む瞬間がありました。しかし、1990年代に入り、「日本の未来」を前進させてきた歯車が逆回転し始めます。

半導体はじめ世界一から転落が始まる

 1991年6月、1986年に締結した日米半導体協定を継承する第2次協定に「日本市場で外国製のシェアを20%以上にする」という目標数値が加えられ、日本の半導体産業の凋落が始まりました。米インテルは息を吹き返し、日本勢の背中を見て追いかけていた韓国サムスン電子にも追い抜かれ、その後の次世代半導体の投資競争に打ち勝つ体力を失います。

 家電でも世代交代が始まっていました。液晶テレビの登場です。シャープは1991年に世界で初めて8・6型のTFTカラー液晶テレビを開発し、21世紀のテレビ時代の先駆となると宣言します。ブラウン管のテレビ市場を握っていたソニー、松下電器産業は自らのシェアを守るために液晶テレビへの進出をためらい、技術の世代交代に乗り遅れました。

 液晶テレビは一例に過ぎません。日本の家電メーカーは電子レンジ、洗濯機など主力製品に多くの機能を加え続け、とても便利な製品に進化させます。家電各社は「アジア勢が真似できない技術力の高さがわかるでしょう」と胸を張っていました。ところがが日常生活でたびたび使わない機能を備えた高価格帯の家電は、敬遠され、むしろ韓国や台湾などの家電メーカーの活路を与えてしまいます。必要な機能に絞り込んで価格を抑え込む。至極、当たり前な販売戦略に圧倒されます。しかし、アジア勢と真っ向勝負せず、技術力の高さが強さと信じる日本の家電はユーザーが必要とする製品を開発せず、自社の技術を自慢するための製品を開発し続けました。

自己陶酔は技術開発に遅れを招く

 それでは高価格帯の家電では強さを発揮したのか。サイクロン方式の掃除機のヒットを思い出してください。日本メーカーは掃除機を歩する余地はないと判断し、割安な製品が定番と信じ、技術開発を怠っていました。サイクロン方式を開発した英ダイソンの高価格掃除機は当初、「価格は高いし、サイクロンの騒音が大き過ぎる。欧米ならまだしも、室内が狭い日本の消費者はそっぽを向く」と笑っていました。結果はどうでしょう。大ヒット。日本の家電各社は相次いでサイクロン方式を投入しています。同じことは掃除ロボットでも再現されます。米アイロボットの「ルンバ」があんなに売れるとは想像もしていなかったはずです。

 日本の家電は、性能は安定していますし、故障しません。品質管理は素晴らしい。でも、世界での存在感は「その他おおぜい」に分類されるかもしれません。

不正認証の説明は口裏を合わせたかのよう

 自動車各社は「型式指定」に必要な認証を不正に取得した背景についてトップ自ら説明しています。まさかと思いますが、まるで口裏を合わせたかのように同じです。「日本車の技術は素晴らしい。認証制度より厳しい条件で試験しており、安全性には問題ない。数値の記入に誤りがあっただけ」。トヨタ自動車の豊田章男会長は国の認証制度に不備があり、見直しにまで言及しました。不正の撲滅は無理と発言したのには、呆然!

 日本の自動車産業は巨額の利益に沸いています。2023年はカーボンニュートラル時代を担うといわれたEV(電気自動車)が失速し、代わりにハイブリッド車が世界各地でヒット。トヨタは5兆円を超える営業利益を稼ぎ出しました。EVの先行きが読めず、ハイブリッド車が当面好調に売れるとの見方もあって、欧米や中国に比べ出遅れたEV戦略がむしろ功を奏したとの空気すら広がっています。

 エレクトロニクス産業の教訓を噛み締めてください。自動車産業も1990年代、エレクトロニクス同様に日米貿易摩擦に翻弄されました。1992年に訪日したブッシュ大統領は米国製の自動車・部品の輸入拡大などを確約させ、日本市場の開放を要求します。自動車各社は米現地生産を一段と拡大するなどで貿易摩擦の政治問題を乗り切りました。

 幸運にも日本車はまだ世界一ではありませんでした。高級車市場はドイツ車が占め、日本が得意とする中小型車市場は欧米・韓国のメーカーを交えて激戦が続いていました。日産自動車が疲弊し、仏ルノーと資本提携するなどM&Aによる生き残りに必死でした。それが日本の自動車産業が家電と同じ衰退の道を歩まなかった理由です。

前門にEV、後門にBYD

 しかし、日本の自動車産業は目の前の風景を勘違いしているようです。「自分たちは正しい」と改めて思い込んでいます。というか、そう信じようとしているかのようです。冷静に世界を見渡してください。EVは着実に増え続け、エンジン車との世代交代の時はそう遠くありません。BYDなど中国製EVは中国政府の後押しもあって、欧米や日本が真似できない低価格で販売され、シェアを高めています。経済合理性を無視した市場戦略は太陽光パネルですでに経験済みです。

 日本の自動車産業は今こそ過去の栄光を捨てて、新たな挑戦に怯まない勇気を持たなければいけません。ハイブリッド車はもう少しでソニーの「トリニトロン」と同じ運命を辿るのです。「カラーの色彩は液晶に負けない。トニリトロンがあれば、テレビの価格は安く設定でき、競争力は劣化しない。液晶を急ぐことはない」とソニーの経営陣は信じ込んでいました。それがテレビ事業の崩壊を招くとは想像すらできなかったのです。

 ちなみに松下電器産業はMCAを経営できず、5年後に手放しました。ソニーも映画事業を収益化するのに長い歳月と試行錯誤を費やしましたが、ソニーはかつての輝きを上回る企業に進化しています。2030年代、燦然と輝いている自動車メーカーはどこでしょうか。

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