前田氏は54歳。電話など通信以外の金融サービスの事業を育ててきました。リクルートから転職して24年目を迎えています。社長就任の見出しで「リクルート出身」と伝えたニュースもありましたが、勤務期間が最も長いのがドコモです。「もうすっかりドコモの人間でしょう」。むしろ、NTTグループのお役所体質に染まっていないかどうかが心配です。その意味では、なんでも気負わずに挑戦するリクルートの気質を失わずに、ドコモの経営に携わって欲しいです。
NTTグループが前田氏を社長に指名したのは、携帯ビジネスが新たな局面を迎えているからです。携帯電話ビジネスは通話を捨て、メール、写真、動画などのデータ通信に主軸を移し、急成長しました。そして今の主戦場は支払いや投資などをスマホ1台でこなす金融サービスです。スマホで顧客を囲い込む経済圏をどこまで拡大できるのか。データ通信インフラを提供するドコモにとって次の成長を生み出す源泉です。
ドコモを変えるには奇才が必要
携帯電話のビジネスモデルをガラッと変えたのがドコモの初代社長の大星さんでした。彼のキャラクターを知るためには、やはりこの逸話が一番。「ドコモのために働かなくてもいい、いろいろやって、それでも嫌なら早く辞めた方がいい」。入社内定者を前に挨拶したのです。自らを「天才大星君」「天才社長」となんのためらいもなく語ります。大星さんの明るく嫌味のない性格だから、許されるジョークでしたが、NTTという日本でも最大級の会社に入社する人材に対し挑戦を求めました。
日本電電公社らしくない大星社長が誕生した背景には、携帯電話の前身である移動体通信事業に対する不安がありました。電電公社から民営化したNTTは1991年8月、NTT移動体通信企画を設立しました。翌年の92年7月から「NTTドコモ」をブランドとして使用します。国内外の通信インフラを握るNTTグループにとって、自動車電話など収益が期待できない移動体通信をなんとか継続できる事業として活性化するためには、電電公社の発想に縛られない「飛び抜けた人材」を起用する必要がありました。
大星社長はやります。「もしもしはいはいはもうやめた、ボリュームからバリューへ」という全面広告を新聞に掲載し、音声からデータ通信への移行を宣言します。携帯電話の料金は固定電話に比べ高く、普及競争すれば必ず値下げ競争に追い込まれ、収益は上がらない。データ通信なら、固定電話に勝てる。しかし、「この戦略転換に全員が反対していた」そうですが、全面広告によってNTTグループに対してもドコモの未来戦略を説明したのです。なかなかできないことです。大星さんは社長退任後、ある講演会で「めちゃくちゃやらないとブレイクスルーなんかできない」と語っています。
NTTに縛られず、全員反対でも改革を
大星社長は成算がありました。NTTファミリーともいわれた日本の通信機器メーカーは当時、世界でもトップクラスのデータ通信技術を持っていました。その一つが「パケット通信」。通信するデータを小分けにして送受信できる技術です。これが「iモード」を可能し、その使い勝手と楽しさは世界を驚かせます。写メールなど新たなサービスを生み出し、日本の携帯電話会社と携帯電話は世界をリードしました。懐かしい思い出です。
前田社長にかつての栄光を取り戻して欲しいと期待しているわけではありません。NTTグループの期待を背負っているとはいえ、NTTほどの大組織であれば経営戦略のみならず、個人の言動にも大きな批判が寄せられます。「自由にやって」と言われても、「ちゃんと根回しして」と理解するのがNTTグループの本音です。
スマホは通話、データ通信、金融サービスと活躍の舞台は進化してきました。これからは人工知能など予想超えるイノベーションが待ち構えています。スマホが進化し続けるためには「全員反対」であっても決断しなければいけない瞬間があります。迷ったら、ドコモの原点に返り、NTTを繰り返しぶち壊してください。