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取締役相談役の功罪と末路 昭和シェルは消え、味の素は大混乱、さてフジテレビは?

 フジテレビの天皇と呼ばれる日枝久氏が注目を浴びています。取締役相談役でありながら、社長人事を含めフジグループ全体に絶大な権力を持っているからです。中興の祖といわれた鹿内春雄氏に抜てきされて以来、フジテレビを民放トップの地位に引き上げました。1988年から社長、会長を務め相談役に退いても、中居正広氏の性加害問題で引責辞任する港浩一社長らフジグループのトップ人事は日枝氏の一存で決まっていたのですから。

社長、会長よりも権力

 取締役相談役とは不思議な肩書です。通常、相談役は社長、会長などを経験した経営者が退任した場合に就きますが、同時に取締役を離れるのは企業経営の常識。ご意見番として関わることはあっても、先輩経営者からのアドバイス。徳川光圀公の黄門さんと同じ存在です。企業の最終決断は代表取締役の社長らが下すのが大原則です。

 にもかかわらず、相談役だけでは満足できず取締役という肩書に固執する人物が現れます。また、なぜ当該企業の経営陣は認めてしまうのか。

 そんな素朴な疑問もあって34年前の1991年(平成3年)、「取締役相談役とは何か」をテーマに取材し、記事を新聞に掲載したことがあります。当時は取締役相談役を就任する経営者は少なく、コンプライアンスの専門家からも「相談役が取締役に就任するのはおかしい」との意見が多く寄せられました。

昭和シェル、味の素は混乱

 その取締役相談役とは、永山時雄氏。大手石油元売り会社、昭和石油のドンと呼ばれ、会長から相談役に退いた時でした。東京帝大卒業後、1935年(昭和10年)に商工省に入り、戦後は通産省の要職を経て昭和石油に入社。世界の石油利権を握るロイヤル・ダッチ・シェルが出資しており、石油を輸入に依存する日本にとって、すなわち通産省にとって重要な石油会社でした。

 1968年に社長に就任してから1984年までの16年間、そして1985年にシェル石油と合併してからは昭和シェル石油会長を務めました。1991年に相談役に退くまでの23年間、トップを握っていました。この間、石油連盟会長、経団連副会長も務め、財界にも睨みが効きます。

 相談役に退いたとはいえ、取締役として経営陣に残れば、誰も物申せないでしょう。石油業界は日本石油、出光興産を軸に合併など再編の嵐に突入していました。昭和シェルは経営規模が中途半端でその存続が問われていました。しかし、経営判断は取締役相談役の存在があまりにも重く、まとまりません。結局は2019年に出光興産と経営統合し、昭和シェル石油は消えました。

 取締役相談役が存在するかどうか。企業の将来を考える目安になるかもしれません。味の素の例はどうでしょうか。1990年代、創業家一族の4代目鈴木三郎助氏らを巡って経営陣が大混乱しましたが、その背景には取締役相談役の乱立がありました。代表取締役相談役もいたとの説もあります。社内の権力争いが激化が収まらず、結局は社長と4代目鈴木氏らが差し違える形で共に退任して決着しました。

 味の素のような会社にとって屈辱です。創業家にありがちなみっともないお家騒動、あるいは創業家から脱皮するために必須の儀式だったのでしょうか。今では優良企業とされる味の素ですが、この経営の混乱を教訓にコーポレートガバナンスを改めていきました。

日枝氏は37年間、権力を握る

 フジテレビの日枝氏は1988年の社長就任から37年間、現在はフジテレビ並びにフジ・メディア・ホールディングの取締役相談役として経営を仕切っています。中居正広氏を巡る性加害問題をきっかけにフジの屋台骨は大きく揺れています。港社長らの経営判断に大きな過ちがあったのは事実ですが、その判断に日枝氏の存在が大きな影響を与えたでしょう。

 取締役相談役の役割を大きく逸脱しているのは事実です。形骸化してしまったとはいえ、本来なら社長が経営するべきところを 舞台裏の相談役にすべての脚本と演出が握られてしまっている。フジはどう経営改革するのでしょうか。昭和シェル石油、味の素いずれの道を選ぶのか。この混乱を教訓にするには、日枝取締役相談役の処遇が焦点になることは間違いありません。

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