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ホンダが消える56 永守重信が教える「本田宗一郎の偉大さ」と創業者の引き際

 ホンダ創業者、本田宗一郎さんは偉大。改めて痛感しています。

 教えてくれたのはニデックの永守重信氏。1973年、京都市の小さなプレハブ小屋で創業、小型モーターを開発、生産。企業買収を重ねながら、売上高2兆円を超える日本を代表する高収益企業に育て上げ、日経平均を左右するとまで言われたほど高い人気を集めたカリスマ経営者でした。

カリスマ経営者は退いても院政

 残念ながら、今は不適切会計の発覚で巨額の損失金が暴かれ、評価は一気に奈落の底へ向かっています。なぜ不適切会計に手を出してしまったのか。調査する第三者委員会による解明を待たなければいけませんが、財務諸表を改ざんして見せかけの高収益を達成し続けていたとしたら、ニデックそのものが虚像であり、騙し続けた株主に対する侮辱です。社内の隅々にまで目を配り、強権を振るった永守重信氏が責任を負うのは間違いありません。

 40年間の企業取材を通じて多くの創業者に出会いました。自らが創業した会社は子供同然。永守氏も手塩に育て上げたニデックをもっと大きく、世界一の名声を獲得したいと願う気持ちはわかります。だからこそ、経営幹部、社員に死に物狂いで働くことを求めたのでしょう。

 永守氏は2025年12月、不適切会計を招いた経営責任を理由に取締役を辞任し、経営陣から去りましたが、イエスマンで固めた経営幹部を陰で指揮する「院政」が続くと言われています。創業者にとって親子関係が永遠であるのと同様に、創業企業を手放すことなどできるわけがない。そんな強い思いが伝わります。

本田さんは退任後、一切口出しせず

 しかし、本田宗一郎さんは自身から身を引き、世界へ飛翔する夢を次世代の経営者に託しました。

 ホンダの歴史は戦後の日本経済がどん底から世界の経済大国へ躍り出る歩みと重なります。1948年に本田技研工業を設立し、原動付き自転車からスタートし、1960年代には2輪車で世界一。4輪車も当時の通産省の反対を押し切って参入、自動車の海外戦略で先鞭を切ります。夢を追い、果敢に挑む経営はソニーと並ぶスター企業に。

 しかし、1973年には社長を退きます。創業から30年も経ていません。その後はもう1人の創業者、藤沢武夫さんと共に経営全般には一切口を出さず、息子さんもホンダには入社させませんでした。

 1980年代、幸運にも何度かお会いする貴重な経験があります。

理念は継承され続ける

 感動したのはF1(フォーミュラワン)の発表会。ホンダは1968年にF1から撤退しましたが、1983年に復帰。1987年から世界最高のドライバーを揃え、常勝ホンダの道を加速しました。当時、若手ナンバーワンのセナはロータス・ホンダに中嶋悟とともに参戦。エンジンを供給するホンダの発表会に出席していました。

 その会場に本田さんが現れたのです。体調が悪いので会場には訪れないと聞いていたのでちょっと驚きました。本田さんはスタッフに肩を抱えながらゆっくりと歩きながら、セナや中嶋悟の下に進みます。才能を高く評価していたセナに笑いながら語りかけると、セナが緊張しているのがわかりました。囁いた言葉は聞き取れませんが、セナが尊敬するホンダさんから直に声をかけてもらえたことをすごく喜んでいました。

 創業当初、世界一の二輪車レース「マン島」で優勝すると宣言していた本田さんです。4輪車レースの最高峰F1でも圧倒するホンダを見せたい熱狂的な情熱を目撃することができました。

 鬼気迫る姿を目にすることもできました。ある日午後7時過ぎ、取材を終えて東京・青山本社ビル1階にある「ウエルカムプラザ」へ降りた時でした。営業時間を終えたフロアには誰もいないはずですが、新車を並べたコーナーに背中を丸めながら、鋭い眼光を放っている人物がいます。本田宗一郎さんでした。

 本田さんは新車が完成すると、かならず出来具合をチェックすると聞いていました。その瞬間でした。高齢で自由に動ける体調ではなかったのか、体を支える男性が立っています。男性の手を借りて、腰を曲げて車体の足回りなどをしっかり注視します。その姿は車一台を舐め回すという表現がぴったり。天井から放つスポットライトが本田さんを照らし、オーラのように輝き、鮮明に映りました。「ホンダの車は完璧でなければいけない」。ホンダ創業者としての魂を見せつけられた思いでした。

次世代へ継承するためには・・・

 1990年代、ホンダはヒット車が出ず、窮地に追い込まれた時期がありました。本田さんの愛弟子であり、当時の川本信彦社長がこんなエピソードを明かしてくれました。「私が居る部屋のドアがちょっと開き、誰かが覗き込んだ気がしたんだ。誰って?探したんだけど、見当たらない。あとで知ったが、宗一郎さんが自身の考えに従って決断しろと伝えようと顔を出したが、そのまま戻ったみたい」。

 創業者の理念を次世代の経営にどう継承させるか。創業者なら誰もが悩むことでしょう。本田宗一郎さんはスパッと身を引きながらも、自らの理念を時折、ホンダのみんなに伝えていました。経営幹部、社員は本田さんの姿から学び、今もホンダを継承しています。それがホンダを支える力の源泉です。

 ニデックの永守さんに最も欠けていたものがわかりました。

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