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ホンダが消える46 本社建て替え、39年の歴史を継承、あるいは棄却するものとは?
ホンダが東京・青山の本社を建て替えます。東京駅前の八重洲から本社が移転したのは1985年。以来39年間、本社ビルには本田技研工業が世界のホンダへ飛翔する歴史が凝縮されています。創業者・本田宗一郎さんの夢である世界一の自動車メーカーに近づき、航空機進出も果たしました。世界で初めて二足歩行する人型ロボット「ASIMO(アシモ)」を開発し、世界を驚かせます。残念ながらも、世界企業の宿痾ともいえる大企業病に冒される苦い経験も忘れるわけにはいきません。
次代に向けて継承、あるいは棄却するものとは?日産自動車との経営統合が破談したこともあり、素朴に考える好機ではないでしょうか。
激動の39年間
実は偶然にも、私がホンダはじめ自動車メーカーを取材し始めたのが1985年3月。そのせいか青山本社ビルを眺めると、ちょっとセンチになります。日米貿易摩擦の激化、米国など海外生産の拡充、自動車レースの最高峰・F1(フォーミューラーワン)、そして1990年代の経営危機など。早朝から深夜までホンダを追いかけ、数多く取材した思い出が次から次へと湧いてきます。
「楽しかったこと」「悔しかったこと」。さまざまありますが、なによりも感謝したいのはホンダのみなさん。的外れな質問にもていねいに答えていただき、時にはベロンベロンになるまでお酒を飲み交わう機会を設けてくれました。新聞記者として鍛えていただきました。
青山の本社ビルで忘れられない出会いは多いですが、やはり特筆すべきシーンは創業者・本田宗一郎さんです。存在そのものに偉大な力を感じました。幸運にも、自動車に捧げた魂を垣間見たことがあります。いつものように取材を終え、本社ビル1階にある「ウエルカムプラザ」へ降りた時でした。午後7時を過ぎ、営業時間を終えたフロアには誰もいないはずでした。ところが、新車を並べたコーナーに背中を丸めながら、鋭い眼光を放っている人物がいます。本田宗一郎さんでした。
創業者の魂に触れる
本田さんは新車が完成すると、かならず出来具合をチェックすると聞いていました。まさに、その瞬間だったのでしょう。高齢で自由に動ける体調ではなかったのか、そばにもう一人の男性が立っています。時折、男性の手を借りて、車体の足回りなどをしっかり注視します。その所作は、車一台を舐め回すという表現がぴったり。鬼気迫るとは、この瞬間に使うのかと合点しました。ちょうど天井に吊られたスポットライトが本田さんを照らしており、姿はオーラを発しているように輝いて見えます。「ホンダの車は完璧でなければいけない」。ホンダ創業者としての魂を見せつけられた思いでした。
忘れられない姿は、もう1人。正確にはもう1ロボット。二足歩行できる人型ロボット「ASIMO(アシモ)」です。ホンダは1986年に人型ロボットの初期モデル「E0」を発表。10年後の1996年12月、世界で初めて二足歩行する「P2」を発表しました。最初の発表からアシモの進化を見てきました。日本のロボット研究の権威である大学教授は、「アシモは世界の研究者にとって衝撃だった」と話しています。
青山本社2階のカフェでアシモが運ぶコーヒーを楽しむ機会がありました。動きはもう人間に近く、音楽に合わせてダンスを踊ることができる水準に達していました。アシモがトコトコと歩きながら、コーヒーを運んできた時は、「もったいなくて飲めないなあ」と苦笑してしまいました。
EV創業者はアシモ?
当時の吉野浩行社長が熱いアシモ愛を漏らしたことがあります。記者から「アシモを工場の生産ラインで働くのはいつ頃ですか」と質問された時、思わず「アシモにそんことをさせるか」と本音を明かしたのです。生産ラインの従業員のみなさんはきっと怒ったと思いますが、吉野社長の思いもわかります。アシモはホンダの素晴らしい技術とアイデアを詰め込んだ結晶です。現在は技術開発は休止となっていますが、近く電気自動車(EV)の基本ソフトOSの名前として復活することが決まりました。アシモで培った技術と独創的な発想がEV時代のホンダを支えるのかと思うと、とてもうれしいです。
個人的には将来、ホンダの創業者は2人と言われてほしいですね。エンジン車はもちろん、本田宗一郎さんですが、EVの創業者はアシモと呼んでほしい。本田宗一郎さんを否定するのではなく、創業者の魂をさらに昇華させて次代のホンダを創造する意気込みを示すアイコンとなってほしいのです。