ホンダが消える33 創業者の執務室が消えても、創業精神は永遠、どう夢を語り継ぐ
ホンダの創業者、本田宗一郎さんの執務室を訪れたことがあります。 JR東京駅前の旧本社「ホンダ八重洲ビル」の一室です。本社は原宿、青山と移転しましたが、本田宗一郎は1985年9月から91年7月まで八重洲ビルの執務室を使っていました。お亡くなりになったのは91年8月。84歳でした。
本社は八重洲、原宿、青山
私がホンダの取材を始めた頃は1985年で、本社はまだ原宿にありました。JR原宿駅から歩くとそれなりの距離があり、しかもヤシカビルと呼ばれる賃貸物件。「あのホンダの本社なのに・・・」という意外感を覚えています。それから間もなく東京・青山に建設中だった本社ビルが完成、移転しました。原宿のビルと比べ、その華やかさとともに地下鉄が本社のすぐそばにあり、利便性が全然違い、「さすがホンダの本社・・・」と舌を巻いたモノです。青山本社の移転を記念した文鎮はいまも大事に使っています。
もっとも、偶然にも遠い親戚がホンダ草創期に入社していたせいか、ホンダの本社といえば東京・八重洲のイメージです。東京駅前の南口に細いですが、スッと立っています。若かったこともあって青山という地名だけで「今日もホンダに取材へ行こうかな」と考えたモノですが、八重洲の旧本社ビルを正面から眺めると細長いビルとはいえ、東京の玄関口に立つ姿は「ホンダは、一流企業だ」と胸を張っているように映ったモノです。ちなみに八重洲ビルは1960年に完成し、地上9階・地下2階。74年まで本社機能を置いていました。
本田宗一郎さんの執務室
旧本社ビルに本田宗一郎さんの執務室が当時のまま残っていることは知っていました。いつかは見学できるチャンスがないかなと考えていました。きっかけは思いがけない形で訪れました。八重洲の旧本社ビルを訪れる用件が生まれ、建物の中をウロウロしていたら、「ちょっと覗いてみますか」と誘われたのです。本田宗一郎さんが執務室にいた時にお世話をしていた秘書役の方がたまたま居て、「遠くから眺めるだけですよ。デスクの上にあるものを触っちゃだめですよ」と注意されながら、連れて行ってくれました。
仕事で使う机の上には、いろんなモノが雑然と散らばっています。本田宗一郎さんが執務室にいた時にアイデアが思いついたら、メモをしたり絵を描いたり。何でもすぐにできるように用意されています。
湧き上がるアイデアや集中力を彷彿させる空気が
残念ながら、本田宗一郎さんと直にお会いしてお話した機会はありませんでしたが、アイデアと集中力が並外れた天才と伺っていました。机の上に雑然と並んでいるさまざまな道具や本、ノートは何か思いついたら、もう体が止まらない。溢れ出るアイデアをどう記録するのか、表現するのかを即座にできるように配置されているかのようでした。
ホンダは社長室などを設けず、大部屋でみんなが議論する「ワイガヤ」が有名です。社長だろうが、平社員だろうが良い仕事をやり遂げるためには、どんどんモノを言い合う。二輪車で世界トップの座を手にし、四輪車でもトヨタ自動車、日産自動車の背中を追い、世界戦略で日本車の先駆となり、世界のホンダへ。拙速と陰口を言われた時もありましたが、それでも突っ走ることができたのは、「ワイガヤ」に代表される創業精神が発するエネルギーです。
本田宗一郎さんの執務室が設けられたのも、青山に新本社ができた1985年。八重洲の旧本社にはやはりオーラを感じます。
創業者の神格化は大嫌い
社長室を設けなかった創業者です。「創業者といえども一個人である」「(自分の)写真を飾るのも嫌いなんだ」と語っていたそうです。執務室も手に触れず残したものの、創業者としての威光と受け取られる誤解を招かないよう公開していませんでした。
その旧本社「ホンダ八重洲ビル」は周辺の八重洲地区再開発に伴い、取り壊されることになりました。執務室は移築はせず、室内のゆかりの品はホンダ関連施設で保管するそうです。ホンダは本田宗一郎さんの遺志を尊重し「創業者を神格化していないため」と説明しています。
ホンダが本社を青山に移転した理由はいくつもありますが、若さや活力、近未来を創造する企業イメージを訴えるためにも八重洲より青山が相応しかったです。東京駅周辺の丸の内、八重洲は三菱財閥はじめ日本を代表する企業の本社が立ち並びますが、なんとなくひと世代前の企業のイメージと重なります。
ホンダがよく比較されるソニーの本社は、以前は東京・北品川にありました。JR五反田駅か大崎駅から雑然とした街並みを抜けてソニー本社にたどり着くまでに「三菱、三井の財閥系とは違うなあ」と洗脳されてしまったものです。やっぱり本社所在地は大事なのかもしれません。ホンダが世界ブランドとして定着するためにも、青山の選択は最良でした。
夢を実現するエネルギーは継承されているか
アイデアが湧き上がり、ゴールに向かって真っ赤になって議論し、成し遂げるホンダ。それは八重洲のころから継承されているホンダの夢であり、その夢を実現する力をホンダの次世代を創り上げてきました。本田宗一郎さんの執務室が無くなるとのニュースを見て、あの部屋に充満していたエネルギーが今のホンダに継承されているのか。当時の部屋の風景と空気だけはいつまでも記憶に残っていてほしいと思います。