ホンダが消える5) 世代交代で”らしさ”を再現できるか
ホンダを40年近く見てきた私にとって「らしさ」とは独創的な発想で勝ち抜くこと。皮肉を込めて例えれば「カネは後から付いてくる」的な新技術開発への熱狂です。F1(フォーミラーワン)を勝つために「本田宗一郎はレースを終えた直後の真っ赤に燃えているエンジンを解体して検査しろ」と怒鳴られたと川本信彦元社長が明かすように目的を達成するために不可能なことを可能にする狂気に近い熱狂を常に求める。それが1986年から再参入したF1で常勝するエンジンの開発、ジェットエンジンを主翼の上に載せたビジネス機の成功、二足歩行で世界の技術者を驚かせたアシモの登場など「ホンダらしさ」を創造し続ける原動力になったと考えます。本田宗一郎の片腕である藤沢武夫さん(当時専務)は「社史」の中で本田社長の夢とアイデアを利用しろと社員に勧めながらも、「人格は諸君が見られる通りで、私はこの点については言わない」と書いているぐらいですから、本田宗一郎さんの圧(アツ)の凄さは想像を超えるのでしょうね。
しかし、ホンダジェットを除けばF1の成功やアシモなどホンダが送り出した技術が事業収益につながったかどうかは疑問です。1980年代後半、F1をブッチ抜きで勝っても欧州の販売は伸びません。アシモは歩行から駆け足ができるようになる進化を遂げましたが、ロボット事業は足元をすくわれそうです。当時の通産省の反対を押し切って進出した四輪車事業は今や全然儲からず、二輪車事業に助けられています。しかし、ホンダらしい多くの人が驚く技術の面白さ、その世界が人々を楽しませたのは間違いありません。
それではEVはどうなのでしょうか。今回の早期退職者の応募の狙いがエンジンから電動化への世代交代ということなら、本田宗一郎さんが社史で図らずも指摘していた会社、つまり「縄張り意識が強く、縦の命令系統、言い換えれば出世系統に敏感で、ライバル視する部署や人材には闘争的な感情を持って叩き潰す」のはホンダそのものということなんでしょうか。前回の連載でも指摘しましたが、世界企業に発展する過程で抱え込んだ組織の課題が創業期の活力を失い、トヨタや日産に負けない企業としての誇りが奢りに変わってしまった。気がついたら泣く泣く取り除かなければいけない大企業病の病巣にまで至っていた。これが今のホンダの実相なのでしょう。
実際、二輪車開発の技術者の皆さんと話すと異口同音に聞くフレーズがあります。なぜ四輪車じゃなくて二輪車を選んだのですかと尋ねると、「四輪車よりも自由に自分のアイデアでいろいろなチャレンジができるからね」。だからこそ一時期収益が厳しかった二輪車が今やホンダの収益を支えている力になっているのでしょう。ただ、中高年のベテラン層が減少したから、ホンダの世代交代が進んだとしたらかなり深刻な大企業病だったんでしょうね。
本田宗一郎さんは従業員の首を切らないことに自慢していましたが、今回は従業員の5%が会社を去ります。「本田ズバリ」の最後を次のように締めています。
「各職場においてその知恵を集め、ごく当たり前のことを当たり前にするために他の何も侵されない独創的な判断を持たれることを希望する。そして誰一人として落伍することなく、美しい交響楽を奏でるようにしない限り、この道は崩れ去ることであろう。そして再び日本からこのような大きな夢を持つ会社は誕生しないことであろうことも忘れてはならない」。