革新機構、JSR 買収の不思議 半導体の経済安保とはいえ、企業の成長戦略を維持できるのか
半導体材料大手のJSRが官民ファンドの産業革新投資機構に買収されます。買収金額は約1兆円。JSRは高精細な半導体の製造に必要な「フォトレジスト」で高い評価を集めており、経済安全保障の観点から他に買収されないよう経営基盤を強固にする狙いがあるようです。買収の趣旨は理解できます。しかし、産業革新投資機構は経営不振に陥った企業の救済かスタートアップ企業の投資が多く、成長に向けた経営ノウハウなどを持ち合わせているのでしょうか。半導体は技術進歩や投資スピードが格段に速く、日本の半導体産業はこのスピード感に乗り遅れ、衰退の道を歩んだ歴史があります。果たしてJSRにとって吉と出るのか凶と出るのか。
JSRにとって吉か杏か
日本経済新聞などの報道によると、産業革新投資機構はJSR買収に向けて新会社を設立します。機構が5000億円出資するほか、みずほ銀行が4000億円、他の金融機関が1000億円をそれぞれ引き受け、合計1兆円を捻出します。JSRの買収は株式公開買い付け(TOB)で実施するそうです。
JSRは、カビの生えた古い経済記者からみると「日本合成ゴム」という社名の方がしっくりきます。戦後、合成ゴムの製造メーカーとして創業しましたが、1977年に半導体の素材に進出して活路を拓きます。2000年には次世代半導体のフォトレジストで一歩抜け出し、収益の柱として育てました。
フォトレジストは高精細な半導体製造に不可欠
フォトレジストは半導体の素材となるシリコンウエハー表面に塗布し、レーザー光線を露光すると高精細な回路パターンを焼き付けることができます。ナノレベルの半導体製造を可能にする重要な製品で、JSRは世界でも高いシェアを握っているそうです。
日本の半導体産業は2012年のエルピーダメモリーの経営破綻後、世界の後塵を拝するレベルにありましたが、日本政府が経済安保の中核に半導体を据えたこともあって、この2年間は台湾のTSMCが熊本県に工場建設しているほか、トヨタ自動車やソニーなど有力企業8社がラピダスを設立し、IBMの技術支援を受けながら、世界トップレベルの高精細半導体の生産に向けて走り出しています。
日本の半導体は生産部門が遅れてしまいましたが、シリコンウエハーの生産や半導体製造装置はまだ世界レベルにあります。半導体の品質のかぎを握るフォトレジストを生産するJSRを日本として守り抜けば、半導体産業の上流から下流までの要所を抑えることができると考えたのでしょう。
革新機構に経営再建ができるのか
ここまではよく仕上がったシナリオです。首を傾げるのは次です。なぜ産業革新投資機構が買収の主役を務めるのか。
この官民ファンドは産業革新機構を改組して設立されました。官民で経営リスクを支え、日本経済をリードする企業の成長を後押しするのが狙いです。日本政策投資銀行やトヨタ、ソニー、日立など主要企業24社が出資し、経産省が後ろ盾として構えています。
官民ファンドとしての投資先は件数でみればスタートアップの要素が強いベンチャー企業が大半を占め、金額でみれば経営不振の大企業を支える資金援助がほとんど。代表例は、半導体のルネサスエレクトロニクス、ジャパンディプレー、JOLEDなどでしょうか。
JOLEDは破綻
このうちソニーとパナソニックの有機EL部門を統合して設立されたJOLEDは2023年3月に民事再生法を申請し、経営破綻しました。ジャパンディスプレーは日立製作所、東芝、ソニーの液晶事業が統合されて「日の丸液晶メーカー」として2012年に設立され、2014年に上場しましたが、黒字化は果たせず、株価は現在40円台。経済誌では日本を代表するゾンビ企業と呼んでいるそうです。可哀想!ルネサスは半導体不足の追い風を受けて2020年度から黒字を維持していますが、つい最近までは経営再建が危ぶまれる見方が支配的でした。
産業革新投資機構は政府が主要金融機関を従えてバックアップしています。資金力に心配はありません。しかし、企業の成長戦略は資金だけで達成されるものではありません。とりわけ技術革新が猛スピードで進む半導体産業は、経営判断が早いか遅いかで成否が分かれます。日本の半導体メーカーが衰退した主な理由は、この判断の遅さにありました。
世界と競うスピード感は?
政府や金融機関を背にした産業革新投資機構に素早い経営判断が期待できるのでしょうか。次代の経営戦略をアドバイスして、実行できるだけの力量があるのでしょうか。過去の事例を見ている限り、答えは否定的にならざるをえません。JSRは買収によって資金面の心配は解消されます。しかし、経営判断の面では政府や金融機関を説得する時間や労力を強いられ、むしろ重荷が両肩にのしかかったのではないでしょうか。
経済安保は会社が存続することが第一ではないはずです。JSRが買収されて、その将来は本当に幸せなのか。不思議です。
◆ 写真はJSRのホームページから引用しました。