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加賀屋、2026年再開に向け始動 能登の元気、蘇って

 和倉温泉の加賀屋が2026年再開に向けて始動しました。プロが選ぶ日本一の旅館として多くのメディアに登場し、日本観光の「おもてなし」を代表する旅館として高い評価と人気を集めていますが、1月1日の能登半島地震で多くの旅館・ホテルと同様に大きな被害を受けています。加賀屋を経営する代表・小田禎彦さんは、幅広い人脈を持ち、果敢に、そして巧みに情報発信する稀有な経営者です。加賀屋の再始動を通じて、能登半島に元気が蘇る妙手を次々と繰り出すはずです。能登全体の空気が大きく弾み、活気に溢れる日々が戻ると確信しています。

政府の補助金やファンドを利用し、補強・修理

 加賀屋のホームページでは、「休業のお知らせ」として当面の間、「加賀屋」「あえの風」「松乃碧」「虹と海」の4施設は休館すると伝えています。地震によって各施設の館内は損傷しており、補強・修理、新たな耐震工事が必須であるため、金融機関などと資金計画の作成に入っています。石川県の地元紙、北国新聞によると、2026年のなるべく早い時期の再オープンを目指すそうで、震災支援の補助金や政府が4月に設立した「復興支援ファンド」も活用するそうです。

 復興支援ファンドは経済産業省の傘下にある地域経済活性化支援機構と中小機構が石川県、北国銀行、北陸銀行など地域金融機関などと共同で出資、設立しており、ファンドの金額は100億円。地震による損傷などを工事しようと計画しても、以前からの借入金などが重荷になって新たな返済計画を作成できない場合が多く、ファンドの資金で返済金など債務を買取り、事業者の負担を軽減するものです。

日本一の旅館を40年以上も

 加賀屋は全国でもトップクラスの大型施設を建設して国内外から多くの観光客を集めてきました。宿泊客は旅館・ホテルの枠を超えた豪華な館内に驚き、そして女将が先頭に立って実践する「おもてなし」に感動します。この積み重ねが40年以上も「日本一の旅館」の勲章を維持してきました。損傷した大型施設が復興支援ファンドの活用で補強や建て直しなどの工事が順調に進めば、地震以前の活況が戻る日が見えてきます。

 加賀屋には大地震でも傷一つつかない長年の信頼があります。「能登渚亭」「雪月花」など大型の客室を抱える施設を運営しながら、小田禎彦さんのお母様である女将・小田孝さんが貫いたお部屋回りの挨拶、そして「お客様にできませんは言わない」に象徴される仲居さんのサービス教育という財産が継承されています。宿泊客は帰り際、「加賀屋に再び泊まろう」という思い出を持って名残り惜しそうに出発する風景をよく目にしました。小田孝さんの思いを継承し、お客さんの車や姿が視界から消えるまでお辞儀の姿勢を崩さない現在の女将・小田真弓さんは2018年に現代の名工に選ばれています。

北陸新幹線「かがやき」は「加賀屋行き」?

 その人気は北陸新幹線が2015年、金沢駅まで延伸した際のエピソードでわかります。新幹線の乗客の多くが手前の富山県で降りず和倉温泉に押し寄せたため、「列車名の『かがやき』が実は『加賀屋行き』だと陰でやっかむ声がありました」と小田貞彦さんが苦笑しながら、明かしてくれたことがあります。

 加賀屋の周辺には七尾市出身で全国で有名なパティシエの辻口博啓さんの美術館、輪島塗の名手・角偉三郎さんの美術館などが配置されています。和倉温泉を訪れた観光客は、能登半島の魅力を堪能できる環境も整備され、和倉温泉に活況が戻れば能登半島にも再生の力が蘇ります。

新たなブランドと信頼を

 加賀屋は2022年10月、小田禎彦さんの長男、小田與之彦氏が退任してから社長職は空席となっています。北国新聞によると、小田さんの甥である渡辺崇嗣副社長が就任する方向だそうです。新たなブランドや信頼構築に向けて新しい発想をふんだんに吹き込まれた「次代の加賀屋」が誕生する日が待ち遠しいです。

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