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コンポン研がトヨタコンポン研に 英二さんの想いを継承してトヨタの枠に縛られず、問い続けられるか

 「コンポン研究所」。

 ちょっととぼけた響きに聞こえますが、物事を考える視座を的確に表した研究所名です。とてもクールで、今も好きな名称です。1996年、トヨタ自動車の創業家出身で社長・会長を務めた豊田英二さんが人類の過去、現在、未来を根本から考える基点にしたいと発案し、設立されました。トヨタの表現を借りれば「何を研究するかを研究する研究所」。創業者の豊⽥喜⼀郎氏の誕⽣⽇に合わせて6⽉11⽇、トヨタグループ12社が出資して設立されましたが、トヨタという企業の枠に縛られることなく、物事の根本から疑問を提示し、研究する姿勢を貫くのが研究所の趣旨です。

あえてカタカナの名称に

 1996年の設立当時、「コンポン」という名称の由来を広報担当者に質問したことがあります。「豊田英二さんはどうしてコンポンというカタカナを選んだのですか?」。その答えは明快でした。「根本という漢字を使えば、気難しいイメージに縛られる。研究所として軽い印象を与えるかもしれないが、カタカナのコンポンなら気楽になんでも研究できる。豊田英二さんはそう考えたそうです」。

 英二さん本人の口から聞いたわけではありません。それでも「なるほどなあ、さすが名経営者」と脱帽したものです。トヨタ自動車が自動車研究所を設立しても誰も驚きません。設立した1996年当時、トヨタは自動車世界一という頂点をめざしていましたが、自動車産業は情報技術・エレクトロニクスと並ぶ世界経済を牽引する存在となり、環境問題など地球、人類の未来に責務を負う立場でもありました。

設立の翌年に「プリウス」が登場

 排ガス削減など地球環境にやさしいクルマとして誕生したトヨタ「プリウス」が登場したのはコンポン研設立の翌年1997年。プリウス開発を後押ししたのも、やはり豊田英二さんの一言でした。「もう少しで21世紀が来ることだし、中期的なクルマのあり方を考えた方が良いのではないか」。

 そのコンポン研究所が7月3日、「トヨタコンポン研究所」に名称を変更しました。設立当初から代表取締役を務めてきた豊田章一郎さんが2023年2月にお亡くなりになり、後任に「プリウス」の開発責任者だった内山田竹志・トヨタ自動車元会長が就任しました。

 発表によると、社名変更について「新たなスタートにあたり、世界トップの多様な研究者が集う研究所を⽬指し、グローバルに認知されている トヨタの名前をつけ、社名を『株式会社トヨタコンポン研究所』といたします。今後はより多くの⽅々に当 研究所を知っていただくとともに、志をともにする仲間を広く募り、時代に合わせた研究に取り組んでまいります」と説明しています。

「トヨタ」は余分

 正直、残念です。「トヨタ」は余分です。発表にある通り、トヨタはグローバルに認知されています。改めて研究所にトヨタを冠する必要性が理解できません。コンポン研の存在はすでに知れ渡っており、トヨタの印籠は不要でしょう。むしろ、トヨタの冠がつくことで、企業内研究所のイメージが強まり、研究所としての存在感は矮小化してしまいます。あり得ないと思いますが、トヨタグループが出資しているのだから「トヨタのイメージ」を高める狙いを加えたわけではないでしょう。豊田英二さんが発案した考えからはるかに遠い発想ですからね。

 コンポン研については「From to ZERO」で2年前の2021年4月に掲載しています。拙稿の最終段落で、経済学者の森島通夫さんの謝辞を取り上げています。以下は一部抜粋です。

 最近、経済学者の森嶋通夫さんにハマっているのですが著書「なぜ日本は没落するのか」の中で豊田英二さんへの謝辞を見つけました。森嶋さんは1978年にサントリーとトヨタの寄付金10億円でロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに「経済および関連諸科学の研究所」を設立しました。謝辞では「私の一生の業績のうちで最大のものは、皮肉にも私の学問的業績でなく、この研究所を創立し発展させたことである」と述べ、佐治敬三、豊田英二および豊田章一郎の三氏の名を挙げて感謝しています。

(全文は次のアドレスからご参照ください。

豊田英二さんのコンポン研究所 基本を忘れず利益に浮かれず」https://from-to-zero.com/zero-management/toyotaeijikonp

 森嶋さんは世界的な理論経済学者として高い評価を集め、宇沢弘文さんとともにノーベル経済学賞の最有力候補の1人でした。晩年は日本の成功と没落について分析・解説しており、このまま戦後の高度経済成長の成功に浮かれ、人口減、企業・社会が抱える衰退という目の前の課題に真剣に取り組まなければ没落の道をひた走ると指摘していました。

企業の枠を超えて地球の問題を考える

 コンポン研の存在感は、どこまで縦横無尽に研究活動を広げ、国内外の人材と連携できるかにかかっています。設立趣旨の通り、すべての枠組みや常識から解放され、地球環境など人類が直面する課題に答えを見出すのか。日本では極めて珍しい研究組織体です。コンポン研の維持そのものよりも、自由な発想を守れるかどうかが日本の未来を見定める試金石となっています。改めて、コンポンから考え、実践する勇気をトヨタはじめすべての企業が試されています。

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