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ダイハツの名車コペン

スズキとダイハツ統合 EVで王手  ダイハツを持ち駒に

 2009年2月、ダイハツ工業の社長交代をある新聞社が報じました。ダイハツ神尾克幸副社長が 社長に昇格する人事を固め、6月末に正式決定するというのです。同年6月に親会社のトヨタで創業家の豊田章男副社長が社長就任するなど経営体制が大きく変わるのを機会にダイハツでも神尾副社長が昇格するという読みでした。神尾氏はトヨタ自動車出身で、ダイハツでは主に営業を担当、国内の軽市場シェアをトップに押し上げる功績を上げましたが、その派手な言動は「将来は社長」との噂を広げる一因でした。

 トヨタ 社長になれないなら、ダイハツをより強くするという思いが強すぎた人もいます。神尾氏の人事記事より一年前に遡りますが2008年にある雑誌で「ダイハツの白水宏典会長が『独裁経営』を展開している」との記事が掲載されました。白水氏は日野自動車社長に就任した蛇川忠暉氏と並んでトヨタを支える両雄と注目されたことがあります。蛇川、白水両氏とも何度もお会いしましたが、専門知識とリーダシップを併せ持つ優秀な経営者です。お二人ともトヨタ 社長になっても遜色ない実力を持っていたと推察します。

しかし、トヨタの豊田章男社長は創業家として自らの求心力を高めることに腐心し、側近で周囲を固める人事を好みます。2009年6月に伊奈功一トヨタ専務を副社長へ送り込み、2010年に社長へ昇格させました。2011年、神尾氏は関東の販売会社の会長に就任し、ダイハツを離れます。

豊田章男社長は、ダイハツの面従腹背する芸当を否定

強烈な一発はトヨタによる軽自動車への参入です。2010年9月 、ダイハツからOEM供給を受ける形ですが、一年後の2011年9月以降に軽自動車を販売すると発表しました。中小販売店が多数を占めるダイハツにとってトヨタの販売力は脅威そのものです。「トヨタが軽を売ることはないじゃないか」といぶかる声が出たのは当然です。親会社がグループ会社の主戦場を荒らすのですから、ダイハツが面従腹背する芸当は許されませんでした。

2013年6月に三井正則副社長が社長に就任しました。生え抜き社長は21年ぶり。3年後の2016年1月、三井社長は豊田章男社長と並び、トヨタの完全子会社化について記者会見を開きました。「次の段階へ向けた小型車のグローバル戦略に向けお互いに話し合い、完全子会社化となった」と話しています。豊田社長は「お互いがこだわりを捨てて、任せるところは任せ、それぞれが得意分野を全力で伸ばしていく、選択と集中こそがグローバル競争を勝ち抜いていくための鍵」と説明しています。1年後の2017年6月、トヨタ専務の奥平総一郎氏がダイハツ社長に就任しました。奥平氏はトヨタで開発畑が長く、中国・アジア・オセアニアの海外事業にも精通しています。2013年から4年間はダイハツ生え抜き社長に自主性を重んじた従来路線からトヨタの完全子会社へ大きく舵を切らせ、奥平社長時代にアジア太平洋の戦略自動車「ダイハツ」ブランドを展開するメーカーに転進する道筋がくっきりと浮かび上がります。

鈴木修前会長はダイハツと手を結ぶ可能性を探り続けていた

スズキの鈴木修前会長は、1980年代からダイハツへ両社で手を結ぶ可能性がないかを探り続けています。ダイハツの社長ら役員と懇親を理由に胸襟を開く機会を増やしました。確かダイハツ出身の役員をスズキにスカウトする奇策も考えていたはずです。しかし、1975年に排ガス規制で経営危機に追い込まれる寸前にトヨタからエンジン供給を受けて助けられた恩を絶対に忘れないと話す鈴木修さんです。「俺は中小企業のオヤジ」と人情に厚い経営者として高い人気を集める一方、米GMや独VWと提携するなど巨大企業を手のひらで転がす豪腕を併せ持つことで知られますが「最後に頼るのはトヨタ」と決めていました。ダイハツとトヨタの間合いを読みながら、ダイハツをどう取り込むのかを考え続け、切り札のトヨタと最後にどう重ねるのか。半世紀近い長考です。果たして最善手とは・・・・

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