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佐川急便、U-NEXT 「やったもん勝ち」ヤンチャな時代は成功の道に必須か?(上)

 会社を興して事業で成功するには、常識を超えた挑戦が必須です。野心に燃える起業家は世間があっと驚く発想で勝負し、大成功を収める。批判など恐れない。米国のイーロン・マスクが好例ですか?誰もが思いつくことを繰り返しても、他と差別化できなければ事業は足踏み。その通り。

 でも、中には法に触れるギリギリ、時には破ってまで成功の道をひた走る企業もあります。今、大企業として背筋を伸ばして見せても、やっぱり違和感が消えません。「結果がオーライ」と言われたら、企業倫理、ESGは文字通り、空疎な言葉に。40年以上も新聞記者として日本の産業、企業を眺めていると改めて問いたくなります。ヤンチャしなきゃ、成功できないのか。

「今日も佐川の摘発か」

 「今日も佐川急便の違反摘発か」。1980年代初め、金沢市を拠点に取材していた頃の昔話です。北陸を管轄する政府の運輸や郵便関連の出先機関から突然、記者クラブに会見発表が通告されると、クラブ加盟社の記者から苦笑が広がります。もう佐川急便の摘発は一種の定期便のよう。違反内容は多少の違いはあれど、ほぼ同じ。国から免許を受けていない路線、地域に無断で貨物を輸送する違反です。

 当時、トラックの運送は免許を受けた地域を結ぶ路線、区域に限定されていました。預かった貨物を確実に輸送し、届ける義務を完遂するためにはその責務を果たせるトラック運送会社として国が免許を与えていました。お客が「この荷物を頼む」と言われても、全国どこでも運ぶことはできません。

 ところが、佐川急便はお客から頼まれた貨物輸送を免許がない路線、区域でも運ぶことがたびたびありました。何度も摘発されるのですから、知らなかったでは済まないはずです。しかし、佐川急便は繰り返します。

 創業者の佐川清さんが北陸の有名ホテルを愛人のために買収するため、金沢市を訪れた時に取材したことがあります。彼は会社が急成長しているので、人員や組織が急激に増え、経営管理が追いつかないと弁明します。「なるほど」と一瞬、納得しますが、違反の弁解として通用するわけがありません。

「人事記録が残っていない」

 当時、佐川急便の仕事は運輸業界でも激務で有名でした。早朝から深夜まで猛烈な働く体力と気力が試され「貨物を残して事業所には帰れない」。その代わり2年間頑張れば2000万円は貯められると言われたものです。貯めた資金を元手に起業する人もいました。その1人がワタミの創業者、渡辺美樹さん。佐川急便の厳しい経験があるから事業を興せたと自身の勲章のようによく話していました。

 創業者の息子さん、栗和田栄一会長にお会いした時、1980年代の佐川急便の現場の様子を訊いたことがあります。苦笑しながら「その頃は人事管理がちゃんとできていなく、記録が不完全。朝礼で確認したドライバーが夕方に戻ってきたら、数が合わなかったこともある」。とても笑い流せるエピソードではありませんが、ワタミの渡辺さんを思い出したので栗和田さんに冗談半分で「渡辺さんは本当に勤務していたのですか?」と確認しました。「一度、調べたことがあるけれど、就業記録が不完全だから、渡辺さんの記録は見当たらない」と再び苦笑い。

 佐川急便はその後、全国各地に配送地域を広げ、高速道路のインターすぐそばに配送センターを次々と建設していきます。国や県などとの調整をどう進めているのか不明でしたが、とんとん拍子で事業が拡大する様に驚くしかありませんでした。

1992年には疑獄事件

 1992年2月、東京佐川急便は疑獄の渦中に。東京地検特捜部は渡辺広康社長、早乙女潤常務ら4人を東京佐川に952億円の損害を与えたとして、特別背任の容疑で逮捕。資金はヤミ献金、不正融資に回った疑いでした。その年の9月には自民党の実力者、金丸信副総裁が政治資金規正法違反で略式起訴されました。佐川急便が成長に合わせて、世間の目には見えない影響力を行使していた一端を垣間見た思いでした。

 2017年12月、佐川急便の持ち株会社であるSGホールディングスが株式上場しました。上場すれば、事業の透明性、企業倫理は常に株主、投資家、サービスを利用する人々などに対する責任として求められます。

過去の教訓を社員全員で共有を

 「水清ければ魚棲まず」「清濁あわせ飲む」・・・。手垢がついたことわざを思い出すまでもなく、ビジネスで成功するためには不合理と思えることも乗り越えなければいけない時があるかもしれません。過去の教訓をSGホールディング社員全員で共有して、佐川急便の次代を創造して欲しいです。=つづく

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