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初冬の春闘

政官主導の賃上げが壊すモノ 初冬の春闘 黄昏の労組 

トヨタ労組が組合員平均の賃上げ要求を取りやめ

トヨタ労組が来年春闘、これまで続けてきた組合員平均による要求額方式をやめるそうです。職種別や職位別など実際の人事体系ごとに賃上げ交渉し、現場の実情をよりきめ細かく反映しようという狙いです。トヨタは日本の春闘を主導してきました。そのトヨタが春闘の舞台から事実上降りるのですから、毎年春の伝統行事となっていた春闘はもう店じまいを迫られるでしょう。一方、岸田首相は賃上げ3%を声高に求めます。安倍首相時代からぶち上げてきた政官主導の賃上げの流れを加速しようとしていますが、こちらも空回りするのは必至です。労使双方が膝詰めで日本の雇用を議論する土台が壊れてきました。労組も政府も失うモノが見えているのでしょうか。

時代に取り残された春闘の要求方法

春闘は毎年2月から3月にかけて主要産業の労使が賃金や福利厚生などを交渉することを指しています。1959年にかつての労組のまとめ役である総評などが「春闘」という語句を使ったのが始まりのようで、企業の枠を超えて産業のかたまり、あるいは日本全国の労働組合運動の力をテコに賃金や労働環境を改善する目的で続いています。今回、トヨタが取りやめる組合員平均の賃上げ率について疑問を持っていた人は多いはずです。企業に勤めている人ならすぐに理解しているでしょう。例えば春闘でここ数年続いた2%賃上げの獲得。誰もが同じ2%で賃上げされているわけではありません。同じ会社でも部署によって給与や人事評価の違いがあるため、個人が給与明細書を見た時、同期といえでも金額の実感に差が生まれています。

1990年代後半、人事や春闘に関する取材や記事を編集する担当デスクを務めていました。毎年3月中下旬に春闘の結果を集計して記事にするのですが、連合事務局からクレームが寄せられたことがあります。「集計結果は組合員平均の賃上げ率を基準にしているが、労組によってはモデル賃金などを採用しており、組合員平均の算出はできないはずだ」。

1990年代に入って個人の評価に直結する実力型賃金体系を採用する企業が増えていました。同じ賃金体系の組合員だけなら組合員平均の算出は可能ですが、同じ年齢でも評価によって異なる昇格や昇給を実施する場合、組合員平均といっても正確な賃上げ率は計算できません。それは私たちもわかっています。連合からの「正確ではない」との指摘は的外れではありません。だからこそ、ある程度の歪みは承知しながら春闘の賃上げ率の結果をひとつの指標として使えるように微調整する一方、全国の中小企業に参考になればと考え、記事化の際も全国の趨勢を極力正確に示せるよう工夫しました。賃金を引き上げるか、止めるかは企業それぞれの決定です。春闘調査の記事は労使の場で自社と全国の状況を比較して議論を深める材料です。結果として企業と従業員が来年以降も頑張るぞと一致するのが日本経済のためになると考えます。

ただ、その組合員平均を労組の主要運動方針の中心に据えていたのは組合側です。連合事務局には「賃上げの目標を労組はどう設定するのですか。また春闘の結果は中小企業の賃上げの目安などに影響を与えます。賃上げ率の集計結果が消えてしまって良いとは考えません」と回答しました。労組の現場も組合員平均の賃上げ率についての問題点は理解しています。実際に見せてもらいましたが、ある自動車メーカーの労組は大きな賃金表を作成して特定の個人がどのくらいの賃金、賃上げ率となったかを分かるように仕分けていました。このエピソードから分かるように職種や職位の乖離を無視して全組合員平均と称して賃上げ交渉する労組の方針は、すでに20年以上も前から破綻していました。トヨタ労組の組合員平均の要求取り下げはむしろ遅かったといえるかもしれません。にもかかわらず、今でも連合は2022年の春闘で定期昇給とベースアップを合わせた賃上げ目標を掲げて春闘に臨み、労使のみならず政府が賃上げ率の引き上げを議論する時の「賃上げ率」も変わりません。先の衆院選で与野党ともに賃上げによる分配を公約に掲げた時、多くの人が違和感を持った背景には賃上げ率といってもひと言で説明しきれない難しい現状があるからです。

春闘は労使双方が真剣に雇用を考える場として引き続き重要

だからといって当時、春闘無用論を振りかざす考えはありませんでしたし、今もありません。春闘は労使双方が本音で議論できる重要な場だからです。形式的なやり取りで決着する企業もあるとはいえ、労使が交渉内容を公開しながら進める数少ない機会です。まして賃金体系は職務・職位により複雑に構築されており、春闘後、自分の実質賃金が上昇しているのか、あるいは上昇していないのかを理解できるのは本人だけというケースもあります。賃金の議論だけが注目されやすいですが、2000年代に入って年金や健康保険などの福利厚生、セクハラやパワハラに対する企業の姿勢とコンプライアンスなど新しいテーマが続出しています。とりわけ若手社員は終身雇用が当たり前と考えていた中高年の社員と違い、入社当初から転職を考えています。経営側にとっても若くて優秀な社員を会社に留めておくためにはどのような施策が必要なのかを考える場として重要になっています。労使協議は今こそ新しい雇用関係を構築する場として重要性を増している時期に差し掛かっているのです。

しかし、その労使協議改革に水を差すのが政府と政治家による賃上げへの介入です。安倍政権時代から賃上げを促す軽減税制を掲げていましたが、結果は空振りで終わっています。そして岸田首相も総裁選で「所得倍増」をキーワードに立候補したぐらいですから、来年の春闘でも3%超を唱えていますが、再び上滑りに終わる公算が大きいです。当然です。コロナ禍に見舞われた日本経済は原油高や円安も加わり、世界的な物価上昇に直面しています。世界経済の行方が定まらず、将来への経済成長が見込めないなか、企業は削減が難しい人件費を上積みするわけがありません。余力がある大企業はまだしも、大企業に比べて厳しい環境にある中小企業の経営者は一時的な優遇税制に惑わされるはずがないです。

「近代日本」と「前近代日本」に残る格差がまだ目の前に

経済学者の森嶋通夫さんの全集「近代社会の国民経済」(岩波書店) を読んでいたら、まさに「その通り」と納得する文章を見つけました。森嶋さんは数量経済学とマルクス経済学に精通しており、最近おもしろく読んでいる方の一人です。本書は1960年代の講座をもとにまとめたものです。明治以降の日本の資本主義について「富国強兵」「経済発展」を優先するため、日本国内に近代化された核を作り、その核を拡大する方式を選んだ。この結果、同じ領土の中に「近代日本」と「前近代日本」が併存し、近代日本が前近代日本を搾取して着実に成長発展してきたと説いています。その成功例とは戦後、世界からも奇跡と言われた高度成長であり、失敗例は「近代日本」と「前近代日本」の間に生まれた厚生水準の格差、賃金格差、潜在的失業率だと指摘しています。もう40年以上も前の論文ですが、近代日本を「東京」と「大企業(正確には一部の)」、前近代日本を「地方」と「中小企業」に語句を差し替えて読み直すと、そのまま日本の現状を映し出します。

明治以来の、いえいえ百歩譲って戦後昭和以降の発想にとどまった政官主導の賃上げ論争を繰り返しているようでは、現在直面する日本経済が必要とする解に行き着くとは思いません。加速する高齢化と人口減、これに伴い確実に増加する海外からの移民・労働者。しかも自動車などに偏った産業構造の変革も待ったなしです。目の前の課題に真っ正面から取り組み、正解を見つける努力をしなければ、私たちは30年後の未来を見つけることができません。

連合はじめ労働組合の皆さん、政官主導の賃上げに目を奪われて本来議論すべきテーマがなおざりにされてしまっては、疲弊する日本経済を傍観しているのと同じですよ。労組が消えて良いとは思いません。多くの議論が衝突して、新しい化学反応が生まれ、それが企業の活力の源になります。頑張ってください。ただ、拳を斜め上に上げて「頑張ろう」と叫ぶのはもうやめましょう。昭和の風景です。

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