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ハスラーでブレイクスルー

スズキとダイハツ統合 EVで王手 環境技術の壁、トヨタとの確執を乗り越えて

 だからといって、研究開発力の強化に手を抜くわけはありません。自らの後継者と決めていた娘婿の小野浩孝さんを2001年、経産省の課長からスズキにスカウトし、取締役に就けました。

 小野さんは海外戦略を加速する一方、スズキ最大の経営課題である小型車の開発体制に着手します。軽自動車は事業の大黒柱ですが、収益力はどうしても排気量1000CC以上の小型車や上級車にはかないません。スズキの経営を盤石にするためには小型車の拡販が避けて通れない道でした。

小野浩孝さんは修さんの後継になるはずだったのに

 小野さんは開発責任者として今でも高い走行性能が評価される「スイフト」を世に送り出し、世界的なヒット車としました。「安いけどデザインはちょっと」というスズキのデザインを欧州の個性的で洒落たテイストに格上げすることに成功したうえ、二輪車「KATANA」で得ているスポーティーなイメージを小型車にも投射し、キャラクターの強い欧州小型車に負けない「スズキ」を生み出しました。

 経産省のネットワークを通じて新技術開発や人材を拡充した小野さんは徹底したリアリストである鈴木修のキャラクターの不足分を補強し、世界で生き残れる自動車メーカーへの道筋を創り出したのでした。「ハスラー」「クロスビー」「イグニス」そして納車が1年以上の「新型ジムニー」とデザインと使い勝手と走りのいずれでも評価を集める今のスズキブランドに小野さんの思いが生きているのがわかります。

 しかし、小野さんは2007年12月に病いに倒れ、亡くなります。すでに鈴木修さんは翌年の2008年6月に小野氏に社長の座を譲ることを決めていました。「あのまま経産省にいたら次官にもなれた」と高く評価し、経営者としての実力も確信していた小野さんを失った鈴木修さんの姿は見ていられませんでした。率直な意見を述べ、霞ヶ関官僚の匂いを感じさせない小野さんの人柄を知る私もとても残念でした。

 スズキの最大の強みと弱点は同じ。ひとつです。カリスマ経営者の鈴木修です。先を読み、結果を確実に達成する力量だけでなく多くの人を魅了するカリスマ性で高い評価と人気を集めていますが、そのカリスマ性ゆえに後継者問題が経営の最大の不安材料です。鈴木家は創業以来、修さんまで三代連続して婿養子が後継者となりましたが、修さんには長男の鈴木俊宏さんがいます。俊宏さんは理科系大学を卒業後、日本電装に入社しました。ただ、鈴木修さんは息子さんを技術者に向いているが、経営者の器と見ていませんでした。

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