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東京電力の社長とは ① かつて経済界に君臨 企業経営と国策の板挟みに、現場の声も届かず

 東京電力の社長・会長を務めた勝俣恒久さんがお亡くなりになりました。社長就任は2002年9月。南直哉社長が原子力発電所のトラブル隠しで辞任。その後継として就任が早まりました。2011年3月の福島第1原発事故の時は会長在任中で、東電の実質国有化が決まった2012年6月に退任。東電の社長は民間企業の経営者でありながら、国策の原発をリードする責務も負います。「民」と「公」の利害が交錯する電力会社ならではの宿命を担いますが、勝俣さんの社長・会長時代もその縮図でした。

平岩会長が経団連会長に

 現役の新聞記者時代、1989年に東京電力などエネルギー産業を担当して以来、経団連会長も務めた平岩外四、那須翔、荒木浩、南直哉、勝俣恒久の歴代社長・会長5人とじっくりお話しする機会を何度も得る幸運に恵まれました。現在は往時のオーラを完全に失ってしまった東電ですが、改めて「東電社長とは?」を振り返ってみました。

 東京・新橋の東電本社に足繁く通った頃の1990年代は絶頂期だったのかもしれません。戦後復興を支えた産業インフラである電力会社は、企業活動、日常生活に深く関わり、その影響力は絶大でした。石炭・石油・ガスのエネルギー政策の要であり、1970年代から原発が加わります。毎年繰り返す設備投資は兆単位で積み上がり、巨額の資金が石炭・石油・ガスを扱う商社、エネルギー産業、電機・重工業など幅広く染み込んでいきます。

 日本経済の浮沈を握っていました。地域に隅々にまで流れる投資は中小企業にとっても生命線。電力供給、設備投資は地域経済を左右するだけに、東北、九州など地域の経済団体の長は電力会社が握ります。当然、その地域の政治家も電力会社に気を遣います。政治献金は地元の有力企業が支えますが、その企業の収益を支えるのは電力関連投資です。東電が政治家を介して圧力をかけることもあって、通産省の課長や課長補佐が「霞ヶ関よりも役所体質の東電と一緒にしないで欲しい」と何度もぼやいていたのを覚えています。

地方経済の隅々にまで影響力

 1990年には東電の平岩会長が経団連会長に就任します。地域の経済連合会の会長は電力会社の指定席でしたから、電力業界としては念願の経団連会長の椅子を手に入れました。経団連もトップを占めれば日本の経済団体すべてのトップを電力会社が占めることになります。当然、批判の声は出てきましたが、大きな声にはなりません。平岩会長の人間力があったからかもしれません。家が傾くほどの蔵書を持つ読者家であり、奢りを微塵も見せません。財界の良心と呼ぶ人もいました。財界が政治献金の斡旋廃止を決断するなど期待に応えたと思います。ただ、東電が経済界に君臨するオーラを発し、その影響力を行使したのも事実です。

 平岩会長を脇で支え、東電を継承した那須翔社長、荒木浩さん、南直哉さんも視野が広い経営者でした。性格が異なるように経営者のスタイルはそれぞれ違いますが、経済界を牛耳る東電といった奢りのイメージを改めるよう努めていました。

 背景には厳しい世論の目がありました。原発を巡って建設候補地で多くの反発を買い、大量の二酸化炭素排出で環境破壊しているとの批判を浴び続けます。定例の株主総会はいつも最後は大荒れとなります。この総会をうまく仕切れるかどうかが、社長への出世コースと言われるほどでした。

 しかし、電力会社ほどの巨大企業はそう簡単に右左に舵を切ることはできません。通産省から「うちよりも役所」と揶揄されるほどの組織です。社長の発言はすぐに社全体に行き渡りますが、長年の社風が変わることはありません。残念ながら、上司の顔を見てイエスと答える「ひらめ社員」は多々いたのは事実です。「人気のゴルフ・ドライバーがたまたま手に入りましたから、どうぞ」。社員が上司の部屋を訪れて”上納”する場面に出くわした時、開いた口が塞がらないとはこのことかと痛感したものです。

社長は東大出身が必須

 あれだけ巨大な組織です。出世コースは定まっています。勝俣さんまで歴代社長の学歴を見てください。東京帝国大、東大が並びます。入社後は、総務部など経営全般を見渡す部署を歩き、最大の関門である総務課長を経験すればもう後は駆け上がるだけ。霞ヶ関のキャリアと全く同じです。出世の方程式は社員全員が知っています。自分はどの位置にいるのか。その立ち位置で会社を生き延びるしかないと割り切る社員がいても不思議ではありません。

 自分の将来を託した幹部がどこまで上り詰めるのか。自身の出世とリンクするのですから、社長が学歴や社内キャリアは無関係と旗を振っても「なにをいまさら」と訝る社員は多いのです。那須社長からバトンを渡された荒木社長は盛んに新しい東電のイメージ作りに苦労していましたが、側から見ていて空回りしていた印象が強く残っています。東電が考える変革と世間が求める変革にズレがあったのです。それは東電が今も対峙し続ける経営課題です。

 組織改革が遅々として進まない中、東電の原発は毎日、稼働しています。「安全運転は当たり前!失敗は許されない!」。緊張した日々を過ごす現場の声は社長へどのくらい伝わっていたのでしょうか。=つづく

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