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東電の社長とは④国策を背負いながらも、民間企業へ脱皮する経営改革のはずだった

 2002年10月、勝俣恒久さんは東京電力の社長に就任しました。南直哉社長が原子力発電所のデータ改ざん事件で引責辞任したためです。東電社内の育ちは前任の南さんと同じ経営企画畑。当然、経営課題を継承する形で、目の前で進行する電力の自由化に取り組むとともに、事業の枠拡大を目的に通信分野にも本格参入します。日本のエネルギー政策を背負う代わりに堅い殻に守られていた電力会社が民間企業へ脱皮するのがミッションでした。

民間企業への脱皮が加速

 勝俣さんは経済界で勝俣3兄弟の1人として知られ、みなさん日本を代表する企業の経営者となっています。東電の勝俣社長は頭脳明晰に鋭い直感力が加わり、その切れ味の良さから「カミソリ」と呼ばれるほど辣腕経営者でした。取材先としては手強い相手です。新聞記者が記者会見で社長への一問一答に緊張しており、ちょっと心配した記憶があります。外野席のわれわれでさえピリピリするのですから、東電の幹部や社員はもっと痺れていたのでしょう。

 ただ、個人的には率直に話し合えば懐に飛び込める人物だと思っていました。私が経済に強いと言われる新聞社の編集局で部長を務めていた頃、何度もお会いする機会がありました。野球のキャッチボールに例えれるのも失礼ですが、素直に直球を投げると、すぐに直球で返していただく印象でした。奥歯に物が挟まった言い方よりも、率直な物言いでやり取りすると、ズバッとストライクゾーンに収まる回答を投げ返してくれました。

豪速球を投げる合理主義者

 もっとも、勝俣さんが投げる球は豪速球が多く、受ける相手が怖がる場合の方が多かったようです。経営環境がそうさせたのでしょう。2000年代、東電は岐路に立っていました。電力自由化の激動期を迎え、事業改革は避けて通れない時です。勝俣社長は、正論と信じれば目の前で抵抗する勢力があっても決断する合理主義者です。

 すべての電力会社は電力の自由化を歓迎していたわけではありません。規制緩和に表立って反対はしないものの、発電、送電、小売りとすべてが自由化になれば従来の独占体制に慣れきっている電力会社は足元から経営が揺らぎます。なにしろ、電力会社に営業部があっても旺盛な電力需要もあって「電気を売らないのが営業の仕事」と言われたことがあるほどです。自由化によって激烈な価格競争が始まれば、電力会社の経営風土を根底から変えなければいけません。

 東電の勝俣社長は躊躇しませんでした。電力の小売りの自由化も積極的に受け入れ、電力業界のリーダーとして他の電力会社の抵抗を抑え込みます。原発の運営管理にも競争意識を吹き込み、コスト低減に向かいます。電力会社は国策として脱石油の切り札である原発を建設・運営するものの、民間企業としてのコスト低減にも努力するのが当然。原発も例外ではない。独占事業に慣れきった社員に競争意識を促しました。

経営改革が安全管理の落とし穴を招く

 勝俣社長は自由化の波を追い風に捉え、勇躍して東電、そして電力産業の経営改革に挑んだと思います。現場の意識を改革するだけなく、専門外のよそ者を寄せ付けていなかった原子力部隊、言い換えれば「原子力ムラ」を切り崩すため、他部門との人事交流にも着手しました。民間企業の社長としては間違った選択ではなかったと思います。

 しかし、東電の経営に歪みを生み出したのも事実です。それが原発の安全管理の強化に繋がったのか。強いリーダーシップを発揮する社長は、ただでさえお役所的な体質の東電を「だれも物申せない会社」にしてしまったのではないか。あってはならない原発の重大事故を防止できなかった落とし穴が待ち受けていました。=つづく

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