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東芝 カラクリ儀右衛門が嘆く歴代社長の放蕩 名門ならではの資産は「みんな夢の中」

 まるで二次会の余興で演じるマジックを見ているようです。あっちのポケットから鳩が出たら、こっちのポケットからウサギが。手のひらを開いたら、萎れたバラが出てきたのです。

 このお手軽なマジックは東芝の社長交代です。まず東芝の車谷暢昭社長兼CEOが2021年4月14日辞任し、綱川智会長が社長兼CEOに復帰しました。東芝は経営危機の綱渡りが続いているにもかかわらず、すぐに後任社長が話題になり、第三者に後任を任せることになっていました。それから一年足らず、綱川社長は2022年3月1日突然退任し、島田太郎氏が社長に就任しました。「社長なんて誰でもできる」と開き直るのは簡単です。かくいう私も社長をやったことがあります、小さな会社ですが。

それはともかく東芝は2021年1月29日に再上場を果たしています。その年の4月に入って、車谷社長が以前に日本法人社長を務めていたCVCキャピタル・パートナーズからの買収提案がありました。提案内容はともかく東芝に入る直前に籍を置いていたファンドからの提案という時点で、かなり怪しい空気を感じるのが普通のサラリーマンでしょう。

 車谷氏を巡る騒動はもう忘れたかもしれませんがすでに詳しく報道されているので触れません。それよりも東芝が奈落に落ちてしまった一連の経緯を見ると、悲喜劇そのものです。歴代社長が会社を私物化した悪循環の繰り返しにとどまらず経団連など対外的な役職を求め、混乱に拍車をかけます。

「先輩の俺を差し置いて後輩のおまえが偉くなるのか」。あるカリスマ経営者にアドバイスされたことがあります。「女の嫉妬はカネで済むが、男の嫉妬は命を取られるぞ」(注;もう30年以上も前のエピソードです。ご勘案ください)その通りでした。歴代社長の相克が会社をどんどん壊していきます。そのおぞましい嫉妬もさることながら、技術、財務そして歴史どれをとっても一流だった東芝を誰もこの悪循環から救えなかったことにもっと恐怖を感じます。

破滅のきっかけは元社長同士の相克

 そもそも名門東芝の崩壊は西田厚聰、佐々木則夫両氏の社長時代の相克が発端です。遡って西田氏を指名した西室泰三氏が東芝を崩壊の階段を突き落とした始めたとの見方がありますが、西室氏がトップを務めた日本郵政などの経営崩壊を見ているとうなずけます。

 私は1992年、東芝など電機産業を取材するキャップを務めました。すぐ目の前には東芝社長交代が控えていました。当時の東芝社長は青井舒一氏。どっしりした構え、口は思いのですが嘘は言いません。嘘を言う時は表情に出る人でした。私が持つステレオタイプ通り、いかにも東芝の社長というイメージを体現した方でした。

青井氏は佐波正一会長、渡里杉一郎社長が東芝機械のココム事件の責任を取って辞任したのを受けて、社長に就任しました。東芝グループが冷戦時代の安全保障問題に巻き込まれ、非常に難しい経営の舵取りを任されました。この難局の時期にふさわしい社長だったと思います。

 その青井氏の後継社長は誰が適任か。取材を始めて数週間後には社長交代を発表する見通しでした。短期間で誰に次期社長の白羽の矢に当たるのか。噂はともかく新聞記事として掲載するためには間違いは許されません。手がかりはありました。東芝には社長の条件として「重電出身、東大、副社長」のキーワードが言われていました。

 ところが当時の東芝の利益の大半を稼いでいたのは半導体。その半導体を率いていたのは川西剛氏(94年副社長で退任)です。重電出身ではないので社長の3条件に適合しません。「そんなバカなこと」と今なら笑って終えてしまいそうですが、世界の半導体業界のスタープレーヤーとして活躍する川西氏を社長として受け入れる空気はありません。東芝社内には「スタンドプレーが過ぎる」、電力など主要顧客には「東芝らしくない」と評判は良くありません。

 電機産業を取り巻く経営環境は重厚長大から軽薄短小へと急速に変化していました。東芝の半導体は現在でも世界をリードしています。歴史に「もし」はありませんが、半導体出身の社長だったら、今の東芝はどう激変していたのでしょうか。それはともかく、青井社長の決断は変わりませんでした。社長の3条件にぴたりと適合する佐藤文夫社長を後継に選びました。

 青井社長の前任である佐波、渡里両氏に会って話を伺うと名門企業と呼ばれるにふさわしい「経営の品」を感じさせられます。日本の経営者が「自分の子供を就職させたい会社はどこか?」という質問に対し東芝がトップに挙げられるほど「良い会社」でした。東芝の保守的な体質は日立や三菱重工にも通じ、それが経営の「軽薄性」を抑え、事業の継続性を堅持していたのです。

 その東芝がなぜ社長の軽薄な横暴を止められない会社になったのか。やはり産業の栄枯盛衰への焦りがあったのでしょう。青井氏(当時会長)はDVD規格の統一で実績を挙げた西室氏を選び、西室氏は社長として「選択と集中」を掲げて経営改革に挑み、重厚長大の重石が取れるかと思いきや軽薄なのか重厚なのかよくわからない東芝へまっしぐら。

 さらに西室氏は院政を敷き岡村、西田、佐々木各氏の社長を操ります。そこへ西田、佐々木両氏の自己顕示そのものの横暴さが加わり東芝の経営は軸足を失い、ゆがみさまよう道へ。

 生き残りに向けて大胆なリストラと期待されましたが、切り出した事業が最も成長性が期待できる医療機器だったのにはびっくりしました。「もったいない」と心底思いました。東芝のメディカル事業を買収したキヤノンはデジタル事業で立ち往生していましたから、今はメディカルでキヤノンの成長戦略を広告しています。ほんともったいない。

 そして車谷社長の古巣ともいえるCVCによる買収提案。知恵を一生懸命に絞ったつもりかもしれませんが、いずれも社長の地位を守り権力を保持するためのカラクリにしか映りません。今回の買収提案は誰が見てもおかしいと気付くでしょう。それがおかしいと感じない当事者。

 倒産取材を数多く経験しましたが、共通するのは「そんなことをやれば倒産するでしょ」と傍目から見てわかることを社長本人が理解できないことです。しかし、社長を支える副社長ら経営陣、スタッフがいます。社長は耳をかさない?まさかまさか。会社は社長一人で経営しているわけではありません、って社会常識では思いますよね。でも上場企業ですら、社長一人で決断できるカラクリがそこここにあるのが日本の会社の常識です。だから、海外からコーポレートガバナンスが不透明だと批判され、東京証券市場の上場企業の価値が下がるのです。でも、この認識の落差は解消されていません。

 東芝の創業者は幕末の発明家として田中久重さんです。カラクリ儀右衛門の異名を持っていました。小さい頃、「からくり儀右衛門」というテレビ番組があり、とても一休さんのオチを楽しむようで好きでした。

 ところが東芝の歴代社長が繰り返したカラクリはどれも裏がわかる誰もが騙されない代物です。しかし、東芝のステークホルダー(利害関係者)は見えなかった、いや見て見ぬふりをしていたのか。それよりも日本経済を支えていた産業基盤そのものが崩れ始めていたからこそ、東芝を支えることができなかったのが最も見逃してはいけない問題点かもしれません。

 東芝の”破綻”は日本の産業界の終焉を予兆しているのでしょうか。そんなことがあって欲しくないです。

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