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大塚家具が消える 家具はおまけ、使い勝手を売るニトリ ディスラプターの世代交代

 大塚家具が消えます。1980年代、大塚家具は積極的な広告展開で売り上げと店舗網を広げ、既存の家具業界のビジネスモデルを破壊したディスラプター(Disruptor)でした。

 最近は創業家の親娘による熾烈な闘いに目を奪われて会社消滅の起因がぼやけてしまいそうですが、大塚家具が築いた高級路線の業態が「使い勝手の良さ」を売るニトリやイケアなどとの闘いに敗れた結果です。流通業界の底流で巻き起こっているディスラプターの世代交代の一例に過ぎません。

 ヤマダ電機を全国に展開するヤマダホールディングスは2022年2月14日、子会社のヤマダデンキが子会社の大塚家具を5月に吸収合併すると発表しました。ブランド名と現店舗は継続するそうですが、娘との相克で分かれた創業者の大塚勝久氏が経営する「匠大塚」が残るとはいえ、創業から半世紀あまりで大塚家具は消えることになります。

旧態依然の家具業界を破壊した大塚家具のビジネスモデル

 新人記者として家具業界を取材することになった80年、大塚家具の本社があった東京・九段を訪れて、大塚勝久社長に会いしたことがあります。大塚家具は1969年、大塚勝久氏が家業の簞笥店から株式会社大塚家具センターを創業、地元の埼玉県春日部市に第1号店を開店しました。1978年に東京に進出。80年に東証に店頭登録して上場会社になったばかりでした。

 当時の家具業界は外から見れば旧態依然。全国の家具産地と根深い関係を築いた家具店が、これまた古くからの顧客を相手に着実に稼ぐのがビジネスモデル。当時の大手家具店は日常の家具はじめ結婚など人生の節目で購入する高級家具と顧客を一手に握っているだけに、確実に収益をあげる自信があります。新聞記者の取材を受けて、ニュースを書いてもらう必要はありませんし、「儲け話を他人に漏らすわけがないでしょう」というのが常識でした。取材のアポは全然、取れません。

 しかし、大塚家具は取材申し込みには柔軟でした。当時は新興勢力です。有力な家具産地やメーカーとの取引を握る伝統ある家具店に対抗するため、テレビ・新聞、電車などで積極的に広告を展開する一方、広い床面積に多数の家具を陳列して若い世代を中心に顧客層を開拓していました。

 メディアに登場するメリットが多いので、取材申し込みを受けてもらいやすく、右も左もわからない新人記者としては最初の一歩を踏み出す助けになったのです。お恥ずかしい話です。派手な広告イメージと違って本社の雰囲気はこぢんまりしていましたが、大塚社長の個性は強烈でした。広告のイメージ通り、事務所も含めて「ゴージャス」の一語に尽きます。積極的な経営戦略を率直に語ってくれるのですが、広げた風呂敷が大き過ぎて「ほんとに実現するの?」という疑問が消えず記事にできない怖さを覚えていました(苦笑)。

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