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若狭得治さんの問わず語り(上)運輸省と航空・船舶は阿吽の呼吸と以心伝心 言葉は無用

 全日本空輸の若狭得治さんにお会いしたことがあります。

 1989年に運輸省担当記者となり、日本航空や全日本空輸など航空会社、日本郵船や商船三井など海運会社を主に取材して回りました。当時、バブル経済が暴れ回っているころです。日本中がイケイケ・ドンドン。海外旅行も当たり前。ハワイ旅行は隣の街へ遊びにいく感覚です。日本航空はハワイを軸に米国の航空会社と相次いで提携。全日空も国内航空会社からの転身をめざし、国際網の拡充を急ぎます。日本郵船や商船三井はクルーズ需要の創出を期待して、大型客船の投資を開始します。航空会社、海運会社を取材すると、1000億円、1兆円という巨額投資のネタが飛び交います。

取材中に「若狭さん」の言葉がたびたび

 取材中、航空、海運を問わず経営幹部がポロリと口にする名前がありました。「若狭得治」。霞ヶ関、とりわけ運輸省(現在の国土交通省)との許認可事項の調整などについて取材を深掘りしていくと、「若狭さんがどう考えているかだなあ」。1度ならず2度、3度、ポロリと出てきます。

 若狭得治といえば、すぐ浮かぶのはロッキード事件。全日空の社長時代、次期大型機トライスターの選定を巡るロッキード事件が発覚。全日空ルートの贈賄は時効のため起訴されませんでしたが、外国為替管理法と議院証言法の違反の罪で懲役3年執行猶予5年の刑が確定しました。有罪確定後も全日空の役職に留まり、取材したころは全日空会長でした。

 「今でも運輸行政に大きな影響力を持っているの?」。素朴な疑問でした。

 経歴をみれば、確かに運輸省の実力者と呼ばれるのはわかります。1938年に逓信省へ入省して以来、太平洋戦争中は日本の物流を支える海運を中心に関わり、戦後は計画造船に携わります。計画造船とは戦後の混乱期、政府が財政投融資によって海運会社に資金を拠出し、必要な商船を確保させる政策で、決定内容は発注する海運会社にも受注する造船会社にも大きな影響を与えます。事実上、差配する運輸省が握る権限の大きさを想像できますか。むろん、その権益の大きさは計り知れません。

当時は全日空会長

 その後、運輸事務次官を経て全日空社長を就任してからは日航が独占していた国際線への参入を実現。国内外でホテル事業にも手を広げ、ヘリコプター会社から始まった全日空を航空会社へ飛翔させた岡崎嘉平太さんに次ぐ「全日空中興の祖」と呼ばれました。しかし、ロッキード事件は輝かしい経歴を背負う若狭さんでさえ、その影響力を奪ったのではないか。そう勝手に推察していました。

 若狭会長には何度も取材を申し込みましたが、なかなか実現しません。新聞記者は夜討ち朝駆けという奇襲作戦もよく仕掛けますが、事件取材でもありませんし、じっくりお話を訊きたいと考えていたので、正攻法で取材を申し込み続けました。突然、「会えるよ」との連絡が舞い込みました。

 東京・霞ヶ関ビルの全日空本社を訪れ、案内された部屋に入ると、空気が違います。カーテンが閉められ、厳かな雰囲気。普段は冗談を交わす広報担当者は緊張しています。ニコリともしません。部屋のドアが開くと、あの若狭さんが目の前に現れました。挨拶して椅子に座ると、話し始めます。

質問する隙を与えず、その代わり話し続けます

 質問する隙を与えてくれません。ずっ〜と、ひとりで語り始めます。取材時間を費やす目的でペラペラと話すわけではないのです。今回の取材で訊きたいと思うこと、胸の内をまるで見透かしたかのように話しくれます。ロッキード事件、運輸行政、日本の航空・海運会社が取り組むべき課題、自身の関わり方・影響力・・・。話の途中に疑問を持ち、訊きたいと思いついた内容も察したかのように答えてくれます。質問を思い描けば、勝手に読み取るように答えてくれるのです。不思議な取材体験でした。

 もう30年以上も前のことなので、言葉の細部まで再現できません。要約する形で問わず語りの一部を紹介します。 

 ロッキード事件は航空会社の機種選定の過程を考えれば、政治家が介入する余地はない。とりわけ大型旅客機の機種選定は航空会社の命運を握るのだから、なおさらだ。トライスターは機体後部と両翼の3か所にジェットエンジンを取り付けた特殊な設計思想で製造された航空機だ。選定過程でも全日空の旅客機として適しているかどうか、かなり議論された。選定に関する議論を無視して政治家の介入で決めたら、全日空はおかしくなる。適正な選定過程を経て決まるのは当たり前のこと。

 運輸行政は日本経済を動かす血流を守る重要な仕事。政府、運輸省が適切な方向を考えて政策を立案、実行する責務がある。今は全日空にいるから航空関係の仕事をしていると思われるが、実際は仕事の70%ぐらいは海運かな。計画造船のころから海運会社がよく相談に訪れてきたせいか、それが今でも続いている。何かがきまるわけじゃない。昔話かちょっとした相談だよ。

 航空行政は国内外の路線網の新増設、空港の施設利用などを航空会社などの意向を踏まえて世界各国の政府と交渉する重要な役割がある。運輸省と航空会社が意見交換するのはおかしなことではない。運輸省は多くの許認可権を持っており、決めなければいけないのだから、多方面の意見を集めて交通整理しなければいけない。

 日本の航空会社は欧米と競争しながら、成長する時代に入っている。全日空が日航に続いて国際線に進出し、路線網を広げるのは時代の流れ。日航と全日空が競争すれば、利用する乗客のみなさんに利益になる。私が裏舞台で新規路線の獲得に動いていると考えているかもしれないが、そんなことをしなくてもこんなに海外旅行が増えれば、各国から日本への国際線路線の新増設が舞い込み、日本側も増やしていくしかない。黙っていても日航と並んで全日空の路線網も増えていく。航空会社はまずは安全に運航することが求められている。その期待に応えるためにも経営力を充実させていく。

 ホテルを直接経営するのも、お客様を海外に運んだ国々で宿泊するホテルを提供する責務があるから。航空会社としてやるべき事業のひとつ。ただ、ホテル経営は投資も大きく、運営するリスクもある。無理はしない。今度、オーストリアのウィーンでホテルを経営するが、その一例。失敗したくないからね。こじんまりやっていきますよ。

 ざっと45分間。いくつか質問しましたが、質問内容を話している途中から「問わず語り」が再開し、若狭さんの考えが織り込まれた回答が返ってきます。「もっと質問させて欲しい」という思いよりも、「こちらが尋ねたい質問をどうして察知できるのか」という疑問で頭がいっぱいになりました。改めて思い出しても、ずぅ〜と話し続ける若狭さんの顔しか浮かびません。

これが運輸省と企業の関係かと合点

 入社して10年目を迎えた新聞記者としての力量が不足だったという反省もあります。運輸省、運輸産業の最大の実力者ともいわれた若狭さんでしたが、高圧的なオーラは全く感じません。といっても全日空の会長という役職よりも、日本の運輸行政、航空・海運会社の箸の上げ下ろしの情報まで知っているぞという自信に溢れていました。「器が違うぞ、若造の記者」と軽くひと飲みされた感じです。

 取材メモを作成しながら、これが運輸省と航空・海運会社の関係なのだと合点しました。こちらから言葉で要望するものでもないし、具体的に回答するものではない。言葉が残れば、なにかしらの証拠になる。お互い相手の胸の内を察する力を持っていなければ、話は進まないし、それで終わり。

 阿吽の呼吸で読み込み、言葉を使わなくても以心伝心できるかどうか。運輸行政の真髄です。

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