官民合唱組曲「賃上げ」過去30年間の賃上げは実質ゼロ、まるで妖怪「ぬらりひょん」
年末恒例のベートーベンの交響曲第九「歓喜の歌」をお正月明けに聴いた思いです。
お正月に「第九」を聴く思い
岸田首相、経団連の十倉会長、連合の芳野会長らが賃上げを呼びかけています。消費者物価の上昇が40年ぶりの3%台を記録し、目の前のモノがすべて高騰しているかのように思える時期だけに「賃上げ万歳」と叫びたいのですが、実質年収はこの30年間、増えていない日本です。昨年の2022年春闘も大幅賃上げを官民で合唱しましたが、結果は例年並み。官民いずれからも「ていねいな説明」を聴いていません。今年はどうでしょうか。かけ声だけの賃上げ合唱はもう飽きました。
経団連の十倉雅和会長は5日、経済3団体の新年祝賀会後の共同会見で「物価高に負けない賃上げを会員企業にお願いしている。これはもう企業の責務」と強調しました。驚きました。「企業の責務」にです。記者のころ、経団連の新年祝賀会には毎年参加して出席する企業の経営者の声を聴いていました。みなさん、日本を代表する経営者ばかり。そのみなさんに「企業の責務」を強調しなければいけないほど経団連の加盟企業は賃上げに無関心なのでしょうか。そんなわけはありません。「企業の責務」は経営者よりも岸田首相ら政治家に向かって発言したのでしょうか。
「企業の責務」の発言は経営者向け、それとも首相向け
前日の4日、岸田首相は記者会見で2023年春闘はインフレ率を超える賃上げの実現を訴えました。昨年も同じ趣旨の賃上げ率を求めましたが、結果は例年並みですから見た目は「スルー」されたのと同じです。
2023年は潮目の変化を感じます。経済同友会の代表幹事に就任するサントリーの新浪剛史社長は6%の賃上げを明言していますし、大幅な賃上げを匂わす企業トップが相次いでいます。賃上げよりも先に消費者物価が高騰しているだけに、すでにボーナスや一時支給の形で補う動きも広がっています。
潮目は変わるが2023年はかなりの引き潮
しかし、2023年の引き潮はかなり強い。まず消費者物価。総務省が2022年12月23日に発表した11月の消費者物価指数は前年同月比3・7%上昇。40年11ヶ月ぶりの高騰です。これに対して厚生労働省によると、実質賃金は前年同月より3・8%減少。2014年以来8年ぶりの大きな減額幅です。しかも8ヶ月連続のマイナス。ボディーブローどころか胃袋にドカッとパンチを直撃された痛さを覚えます。
より悲しい事実が続きます。国税庁によると、平均給与は2020年時点で30年前と比べて8万円増えているだけ。平均給与額は433万1000円。1990年代から30年間、ばらつきは多少ありますが日本の年収は横這いが続いていますから、8万円でも増えているのかと喜びたいのですが、給与の受け取る平均年齢は5歳上昇し、勤続年数も1年増えています。体感温度はやっぱり伸び率は実質ゼロ。
平均給与、30年間で増えたのは8万円
日本の賃上げは大企業が伸び率を主導して、中小企業が後を追う構図です。発注する大企業とそれを下請する中小企業の関係が如実に反映されます。ですから、賃上げの平均伸び率は2022年でみても、大企業は2%を上回りますが、中小企業は2%を割ります。
官民が合唱する大幅賃上げは、大企業が思い切った賃上げを実施するだけでは達成しません。2022年末に公正取引委員会が価格交渉に応じない大企業13社を公表しました。いわゆる「下請いじめ」です。そのなかにはデンソーや豊田自動織機の2社の名前がありました。兆単位の高収益をあげるトヨタ グループから2社も加わっているのが象徴的です。大企業が高収益をあげても、その利益は産業の裾野に広がらず、結局は下請け企業の賃上げはままならい現実が浮き彫りなります。
大企業と下請けの中小企業の力関係を変えなければ
中小企業に是正できる力はありません。政府は日本独特の大企業と中小企業の力関係を十分に認識しているのですから、新たな産業政策を明示するぐらいの思い切った姿勢を見せなければ、2023年の賃上げは実質的に物価上昇分を反映した水準に収まる程度で終わりそうです。
1980年代後半から日本の賃金を眺めてきました。終身雇用を前提にした年功序列型に別れを告げ、職種や能力に応じて柔軟に賃上げ・年収を定める給与体系への移行が叫ばれてきました。しかし、この30年間、平均給与でみれば、伸びは実質ゼロ。連合など労働組合が掲げる賃上げ闘争はすでに空疎に。今では政府が賃上げ主導する時代になっています。それでも増えない。
2023年も同じ繰り返しか
なぜ増えないのか。この30年間を改めて精査し、反省するところは是正する。この教訓をもとに新たな政策が打ち出されなければ、過去30年間の繰り返しを2023年も経験するだけです。
先日、鳥取県境港市にある水木しげる記念館を訪れました。小さい頃から水木さんが描く妖怪は人間味があって好きです。鬼太郎やねずみ男などいくつもありますが、「ぬらりひょん」と呼ぶ妖怪はその見た目もおもしろく、思わず目がロックしてしまいます。ぬらりひょんは海坊主の一種だそうで、捕まえようとするとスルッと逃げ、すぐにひょっこりと浮いてくるそうです。この30年間繰り返してきた賃上げ議論とそっくりです。
労使一緒に賃上げしようというのに、手にすることができない。なぜ「ぬらりひょん」になってしまうのか。賃上げは妖怪じゃありません。捕まることばかりに精を出さず、どうすれば賃上げできるのかを考えましょう。時期を逸しているのは承知していますが、まだ間に合うはずです。ぬらりひょうは海に沈んでも、再び顔を出してくれますから。