日本から世界に発信するイタリア料理を考えてみました。(1)

できるまで茨の道だった七谷鴨の飼育

 

「弥栄」の七谷鴨 photo by LUDENS

 もともと竹炭の製造販売をなりわいとしていた加藤さんは、竹炭を使った焼鳥店を開きたいと思い立ち、2003年に竹やぶを切り拓いた1000坪の土地で養鶏をはじめた。七谷川が流れる河畔の土地での「七谷赤地鶏」の養鶏である。養鶏はまったくの独学で、高級鶏で知られる兵庫県丹波篠山市の「高坂鶏」を飼育する高坂英樹さんと勉強し、フランスの家禽で唯一のAOC(原産地管理呼称)である「ブレス鶏」の飼育方法をインターネットから学んだ。

 ブレス鶏が放し飼いだったので、七谷赤地鶏も放し飼いにすることを決めたところ、養鶏の先輩から加藤さんはこういわれた。「100羽飼って2、3羽生き残るのがいいところだ」。その忠告どおり、当初は養鶏場に猫やイタチが入ってきて食い荒らされた。こうした害獣はネットや柵をつくることで防御できたが、次の問題は、鶏の病気だった。全飼育期間を通じて抗生物質や抗菌剤など薬を使わないと決めたため、鶏が病気で8割も死んだときがあった。特に、薬を使わずにひよこを飼うのはとても難しかったのだが、配合飼料など研究を重ねることで劇的に改善させた。その後、保健所からの勧告もあって、放し飼いは鶏舎での平飼いに切り替えた。

 

平飼いされる七谷赤地鶏 photo by LUDENS

 

 「七谷赤地鶏の飼育が軌道にのって、京都のミシュラン一つ星イタリアン『キメラ』に営業をかけたとき、筒井シェフから、鴨の養鶏をやらないか、と声をかけられたんですよ」と加藤さんはいう。日本の合鴨はやや特殊な鴨だったため、加藤さんは筒井光彦オーナーシェフと相談しながら、どのようなコンセプトの鴨をつくるかを決めていった。それはまさしく、「臭みがなく、柔らかくて、うま味のある、食べやすい鴨」だった。配合飼料には、ポリフェノールと乳酸菌を入れた。2011年から飼育をはじめた鴨は、最初から鴨舎での平飼いにし、1平方メートル当たり5羽以下という飼育スペースを保って、ストレスを与えない。水は、愛宕山から流れてくる地下水にミネラルを加えた。

 食肉処理も、鴨肉の状態を大きく左右する。七谷鴨の食肉処理は、京都市花園に開店した焼鳥店のすぐ横でおこなっている。「鴨は羽を抜くのがたいへんなんですよ。鶏は数分で抜くことができますが、鴨は鶏の20倍ぐらい手間がかかる。キメラの筒井シェフも最初は『店でやるから』といってましたが、あまりの手間だったのか、最後にはうちが任されまして。慣れたいまでも、鶏の10倍は時間がかかります」と加藤さんは苦笑いする。

 

七谷鴨の中雛 photo by LUDENS

 

 養鶏場を新たに設けようと思っても、まわりの住民の理解を得るのにも苦労した。環境にも気を遣い、鶏糞は肥料として消費する一方、平飼いの地面をこまめに撹拌して発酵させてほとんど増えないようにしている。「鶏舎・鴨舎は風通しがよく、広々していて、嫌な匂いはない」(田淵シェフ)にもかかわらず、養鶏場への偏見は強い。地主が首を縦に振ったとしても、地元住民の反対を受けて断念したことは数知れない。だが、国内だけでなく、シンガポールや香港からも引き合いがあった七谷鴨の養鶏場を新設することを決意し、加藤さんは一歩踏み出した。

食材を作り上げることは長い時間と根気がいる取り組みだ。イタリアンのシェフと食材の生産者が話し合って、食材のコンセプトを決め、生産者の熱心な研究と専門技術によってできあがる。多大な労力を必要とするが、地方の食文化をベースとして共有し、気心が知れた料理人と生産者がタッグを組んで開発する食材は、料理の大きなアドバンテージとなる。かかった時間と苦労も含めてその食材の真価を認めたシェフたちが、利用の輪をだんだんと広げ、ほかの地方・都市へと評判が伝わっていく。こうした伝播の力をもつ日本の食材が、イタリアンの皿のなかで、血が通った食材としていきいきと脈づいている。それはまちがいなく、日本から発信できるイタリア料理のひとつである。

 中村 浩子

イタリア食文化文筆・翻訳家。東京外国語大学イタリア語学科卒。イタリアの新聞社『ラ・レプブリカ』極東支局長助手をへて、文筆・翻訳へ。著書に『イタリア薬膳ごはん』(共著)『「イタリア郷土料理」美味紀行』、訳書に『イタリア料理大全 厨房の学とよい食の術』(共訳)『スローフード・バイブル』。国際薬膳師の資格と茶道表千家の上級免状をもつ。

 

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