八代亜紀さん「お酒はぬるめの燗がいい」人生の駅で唄に酔う
映画「駅 ステーション」には名場面が多いですが、とりわけ好きなシーンがあります。居酒屋「桐子」の女将を演じる倍賞千恵子さんが、お銚子を指先でつまんで高倉健さんが持つガラスのコップへお酒を注ぎます。二人とも言葉を口にしませんが、お酒を飲み交わしながら心を通わせ、お互いの気持ちを確認します。すぐ隣に座っていながら、決して視線を合わせない2人の胸の内を語るように唄が流れます。
お酒はぬるめの 燗がいい、
肴はあぶった イカでいい、
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい、
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌い出すのさ 舟唄を
「舟唄」。作詞は阿久悠、作曲は浜圭介。歌い手はもちろん、八代亜紀さん。そのハスキーボイスに痺れ、学生時代から親しみ馴染んだコップ酒を飲む時は、舟唄が聞こえてきます。ガラスのコップにあふれんばかりに注がれた酒の表面は揺れてみえます。一滴もこぼさないようにコップ酒に口元を寄せ、まずは吸い込むように飲み込み、それから舌の上に載せ、喉にぶつけるように呑み込む。うまい!
やっぱり、日本酒はぬる燗。真冬の寒さを覚えた時、熱燗が恋しくなりますが、ちょっと香りも味も強めに感じ、日本酒のほのかな危うさが消えてしまいそうでいつも躊躇しちゃいます。日本酒の適温は人肌。誰しも時々、人肌が懐かしくなる時があるでしょ。
肴はイカ。函館で育っただけに、イカがあれば文句は無し。一夜干しのイカは炙ると、肉厚のほどよい歯ごたえとなり、ぬる燗をさらにうまく感じさせてくれます。「こんなにお酒をうまく飲ませてくれる唄って、あるんだあ」
居酒屋は自宅に帰る途中のステーション(駅)。ちょっと立ち止まって、何も考えずにボッ〜酔う瞬間がうれしい。「人生にいくつもの駅があって当然なのさ」と生意気な台詞が浮かびます。映画で倍賞千恵子さんと高倉健さんの無言で交わす名演技をを改めて思い出しては勝手に納得し、やっぱり注文することにします。なぜって耳元で再び「お酒はぬるめの燗がいい」と舟唄の出だしが始まってしまったものですから。
「ぬるをもう1本、大きめのお銚子で良いよ」。いつも飲み過ぎと叱られる女将にお願いします。
八代亜紀さんが2023年12月30日、お亡くなりになりました。73歳です。体調を崩したとのニュースを見ていましたが、突然の悲報に驚きました。不適切な表現かもしれませんが、「もったいない」という言葉が浮かびました。「最近の歌手は・・・」と訳知り顔で語る気は毛頭ありませんが、魂に響く豊かな歌唱力はゴスペルの頂点を極めたマヘリア・ジャクソンさんと重なり、体全体で歌う姿がもう見られないとかと思うととても残念です。
ご冥福をお祈りします。ありがとうございました。